「イエスが選んだ器」使徒9:1−19前半 中村吉基
サウロ(後のパウロ)はユダヤ教の指導者であるのと同時に主イエスを信じる人びとを迫害していた。それほど当時のキリスト教徒の影響は大きかったのである。サウロは自分のしていることは正しいと信じていたが、ダマスコの旅の途中に倒れ「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そして起きて町に入れと言われる。そのころダマスコではアナニアがサウロを訪れるように主イエスに言われる。自分の行動を自分で決めてると私たちも思いがちだが、キリスト者は主イエスだったらどうするかを考え従うべきである。アナニアは主イエスに「サウロは私が選んだ器」と言われる。聖書では人間を器によく例えるが、見た目が大切なのではなく何を入れるかが大切なのである。今日の箇所ではサウロもアナニアも対応はそれぞれであるが、名前を呼ばれてる。主イエスは私たちの名前も呼んで、「わたしはここにおります」という応答を待っておられる