「心を合わせて祈る」使徒1:12-14 中村吉基

エレミヤ書29:10-14;使徒言行録1:12-14

復活された主イエスは、使徒たちにこのように語っていました。使徒言行録1章4節以下です。

「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」。また同じ1章8節では「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と語られました。

このように語られた後、主イエスは天に昇られて行きました。今日の箇所によれば12節でその場所は“「オリーブ畑」と呼ばれる山”とあります。通称「オリーブ山」です。ここにはマルタとマリアの姉妹が住むベタニアがあり、主イエスがエルサレムの滅亡を予告したのもここでした(現在は「主の涙の教会」が記念して建てられています)し、また最後の祈りをささげたゲツセマネの園もあり、たびたび主イエスの登場する舞台となるところです。

今日の箇所の冒頭にはこう記されてあります。

使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある(12節)。

私もオリーブ山からエルサレムの神殿のあるところ(旧市街)まで歩いたことがあります。1キロ弱(約900メートル)それは一切の労働を禁じる安息日に歩くことが許されていた距離でした。ですからこの日は金曜の日没以降から土曜の日没までの間ということです。13節の始めに「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった」とあります。この部屋が聖霊降臨の現場となる部屋となりました。そして英語の聖書(NKJ)では上の部屋は“the upper room”となっています。日本のキリスト者にも親しまれている黙想誌のタイトルになっているのはここに由来しています。

さて、そこには「ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダ」という使徒たちの他に14節「婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たち」が居ました。この人びとも使徒と共に「心を合わせて熱心に祈っていた」とあります。この人たちもなくてはならない存在でした。男の弟子たちは名前が記されてあるのに対して、「婦人たちやイエスの母マリア」のように十把一絡げに取り扱うのは問題ですが、ルカ福音書の8章を見てみますと、この女性たちはおそらくこのような人たちであったのではないかと思われます。に主イエスに「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」(ルカ8:2,3)と記されてあるのです。

また同じルカ23章49節には「ガリラヤから従って来た婦人たち(と)は遠くに立って、これらのことを見ていた」とあります。この時、女性たちは何を見ていたのか。主イエスが十字架で処刑される場面を遠くから見ていたのです。もしかしたらこの時、イエスの母マリアがいたかもしれません。最愛の息子の死を弟子たちと共に見ていたかもしれないのです。

そして同24章8節以下では、「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」とありますが、皆さんも良くご存じのように主イエスの復活に最初に触れたのは女性たちでした。ここに出てくる「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」も共に「上の部屋」で心を合わせて祈っていた可能性が高いでしょう。11人の使徒たちは誰もイエスの亡骸の無くなった墓にはいませんでしたから、この女性たちが復活のイエスの証人として使徒たちを補っていただろうと考えることができます。

そしてここには「イエスの兄弟たち」もいたといいます。マルコ福音書6章3節によればイエスの兄弟とは「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」という4人を指します。私たちプロテスタントはこの兄弟たちはヨセフとマリアの実子と捉えますけれども、カトリックではイエスの義兄弟、正教会ではヨセフの先妻の子どもたちとおそらくマリアの処女性を大事にするあまり、いささか無理な解釈がされます。いずれにしてもイエスの身内、マリアもそうですが、この「兄弟たち」も主イエスの公生活以前のことを知っている貴重な証言者です。こうして使徒たち、女性たち、主イエス母マリアと兄弟たちが「心を合わせて祈る」。

他の箇所では「心を一つにして」という言葉も使われますが、意味は同じです。そのことがマティアという新しい使徒の選出、そして聖霊降臨を導きました。つまり一人ひとりが心を合わせて祈ったことによってこの危機的状況を乗り越えることができたのです。

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ブルーダーという人が『嵐の中の教会 ヒトラーと戦った教会の物語』 (新教出版社)という本を書いています。この記録はナチスの暴虐という嵐が吹く中で、み言葉の真理を守るため敢然と戦ったドイツ農村の一小教会の物語です。極限の状況下にイエスを主と告白しつづける教会を守るために牧師も信徒も心を一つにする話です。ドイツにリンデンコップという小さな村がありました。この静かで穏やかな村の教会のひとつに過ぎませんでした。しかし日に日にヒトラーの影響は強まり、教会も危機的な状況に立たされるようになります。牧師はこう語りました。「今日、国民共同体はキリストのしるしとは異なるしるしのもとに置かれております。しかし聖餐式によって生まれる共同体は、国民共同体よりもはるかに深いものがあります。私たちは、ひとりのお方の死を通して、このパンとぶどう酒においてお互い同士、結び合わされて一つになるのです」。いくら田舎の小さな村と言ってもヒトラーの政権下でこういうことを牧師が説教するというのはたいへん勇気のいることでした。世の中はヒトラーの方向へ、方向へと挙って向かっている時ですから尚更です。「ひとりのお方」それはイエス・キリストです。このお方によって「のみ」私たちは一つになることができると宣言をしたことになります。ヒトラーこそが優れたリーダーだと国民が口々に言っていた時に、この教会は聖餐つまりキリストのいのちによって一つにされている教会のほうが確実であるのだと牧師は説教しました。そしてそれを「アーメン」と受け入れた信徒が一つになった瞬間でした。

私たちも今日の礼拝で聖餐を共にします。今私たちはヒトラーの時代のように緊張した状況ではないかもしれません。しかし私たちにとって聖餐は、いつも、いつでも厳粛な出来事に変わりありません。私たちの手の中に、パンとぶどう酒の形をした主イエスが来てくださるのです。そして主が私たちの体に入って一体となってくださるのです。

私たちの日本もかつて戦争に突き進んでいった時、主イエスを最も上に掲げることなく、2番目、3番目、いやもっと下の下に格下げし、挙句の果てに主イエスを隠してしまうとさえする過ちを犯しました。今、ここに生きている私たちには、かつての時代のような切迫した「危機的な状況」が及んでいるわけではないかもしれません。今、私たちの意識はイエスの使徒たちや、ヒトラー政権下の教会とは違うところにあるかもしれません。しかし私たちは心を一つにして祈るところにのみ、神の力――聖霊が与えられることを信じたいのです。