Shimako F一覧

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「先が見えないような時にも」イザヤ2:1-5 中村吉基

世界が終わる日、だれもがエルサレムに行って神の神殿で礼拝したくなるとイザヤは言う。天と地を結ぶ場所のエルサレムで神さまが私たちに備えられる「道」を授かり「剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする」、つまり戦争はなくなる。これが神の支配する世界である。これが信じられるだろうか?神さまは私たちの後ろ盾・導き手として道を示してくださる。何も恐れることなく与えられた道で神さまに従っていけばいい。待降節第一主日は希望の日曜日とよばれる。暗い絶望の中にあっても闇の中に輝く神さまの愛の光には「確かさ」がある。私たちがすべきことは、苦難の中にあっても心を高く上げて、まなざしを天に向けて、神さまを仰ぐことである。

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「それでも人は立ち上がる」ミカ書7:1〜7 中村吉基

預言者ミカは、神の言葉を聞かない人々、役人、裁判官、友人家族を見て「正しい人はいなくなった」と苦悩していた。しかし苦しむ彼は「しかし、わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる」と神を信じてゆだねる。私たちもうまくいかず八方塞がりになることがあるが、自分で抱え込み自分で解決できない場合もある。つらい目にあった時「神の試練」なのか「悪の誘惑」なのか見分けるのは難しい。主の祈りに「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」とあるように、聖霊を信頼して、聖霊により頼むことですべてを乗り越えることができることを信じることである。「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とと思える日が必ず来る。

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「言い訳を捨てる」申命記18:15-22 中村吉基

モーセは言い訳の達人というわけではないが、言い訳が相手をまた神をどれほど悲しませるかを今日の箇所を通して考えてみたい。モーセは神がイスラエルの民を救うために立てられ、み言葉の伝達者にして忠実であることが求められた。単に伝えるだけではなく」従わない者があるならば神はその責任を追及する¥とある。とても厳しい。しかしクリスチャンとは主イエスが歩かれた荊の道に続いていくものである。そこに言い訳や言い逃れができない。道を歩む上で躊躇や苦悩を覚えてしまうが、聖霊がともにいてくださる。そのような歩みのなかに大きな恵みがあるものである。言い訳をしても神はすべてご存じだ。クリスマスにむけて神が私たちに贈ってくださった救い主イエスを見上げて歩みたい。

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降誕前第6主日礼拝 2024/11/17

本日の礼拝 旧約聖書:申命記18:15-22 新約聖書:マタイによる福音書5:38-48 説教「言い訳を捨てる」中村吉基 本日の集会 教会学校 「イエスさまの優しいまなざし」(ルカによる福音書19:1...