2023年05月一覧

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「教会は〝ことば〟から始まった」使徒2:1-11 中村吉基

ペンテコステは、失望して閉じこもっていた人たちが、神の力を受けて外に出て行き、同じように悲しみや苦しみの人生を送ってきた人々に「神の偉大な業」を告げ知らせる者へと変えられていった出来事と読み取ることができる。教会の歴史の始まりである。教会は建物ではなく組織でもない。当初の教会はそれぞれの賜物を与えられた人をイエスが召し集め聖霊が接着剤の役目を果たしているのであろう。多様な言葉で話し始めたペンテコステは一致した教会の始まりには思えないかもしれないが、全て神のお創りになったものである。神はこの世界をおつくりになったのもことばによるものであった。今日の旧約はバベルの塔であるが、ここで通じなくなったものがペンテコステで再びつながったのである。この出来事が我々の教会でも実現しているのことである。我々がひとりひとり違っていることを喜び、それぞれが聖霊をお迎えして、この信仰の共同体を、聖霊の力によって前進させていただこう。

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「あなたがたは行って……」マタイ28:16-20 中村吉基

5月18日木曜日が主の昇天記念日で世界中の教会で祝われたが、それは主イエスの力が全てに及ぶことを意味する。今日の18節以下で彼は弟子たちにすべての民を弟子にしなさいと言ったが、ただ信徒を増やせばいいのではない。福音の教えによって視座の転換、つまり悔い改めをすることが大切である。二千年前、わずか11人で始めた「イエスはキリスト」という教えを、異邦人にも積極的に伝道し、ある人は音楽や美術など遠して主イエスを表現した。私たちもイエスの弟子である。イエスは私たちに「行きなさい」と言われる。また20節にある「あなたがたに命じておいたこと」というのはたくさんあるが、最も大切なことは「神を愛し、隣人を愛しなさい」である。今日の箇所には「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とある。私たちも聖霊の力をいただいて今の自分にできることからはじめていこう。

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昇天後主日礼拝 2023/05/21

本日の礼拝 旧約聖書:エゼキエル書43:1-7c 新約聖書:マタイによる福音書28:16-20  説教:「あなたがたは行って・・・・・・」 中村吉基牧師 Zoomで主日礼拝に参加する(※マイクをミュートしてご...

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「イエスの驚き」マタイ8:5-13 中村吉基

自分の予想をはるかに超えたところに人は驚くことが多いが、今日の箇所でイエスは百人隊長に驚いている。何に驚いたのだろうか?1.5〜9節でみられるように百人隊長がイエスの権威、すなわち神のひとり子であることを信じているところ、2.百人隊長が異邦人であること。当時のユダヤ人は外国人は本物の神を知らない穢れた存在と思っていたのである。3.彼がローマ帝国の百人隊長という権威ある人物であったことである。百人隊長とは駐留していたローマ帝国軍の1つのユニットの指揮者のことで、そのような人物がイエスにお願いにきたこと。4.その部下に対する愛。当時の歩兵は百人隊長にとってみれば道具のように扱われていたにも関わらず、まるで99匹をおいても、迷ってしまった1匹を探しだすという神の視線を感じさせる行動。これにイエスは驚いているのである。これはフィリピの信徒への手紙2章6〜8節の神でありながら、それを捨てて、仕えられる者から仕える者へと変わられたキリストを彷彿とさせる。私たちが主イエスを驚かせるのはどんな時であろうか?彼がお示しになったすべてを人間に与える心、命までも差し出された十字架の心が、私たちの心と一致するとき、私たちは主イエスに驚かれるような者に変えられて行くのである。

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復活節第6主日礼拝 2023/05/14

本日の礼拝 旧約聖書:ダニエル書6:10-23 新約聖書:マタイによる福音書8:5-13  説教:「イエスの驚き」中村牧師 Zoomで主日礼拝に参加する(※マイクをミュートしてご参加ください。Zoomアプリの...

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「あなたがたを友と呼ぶ」ヨハネ15:12-17 中村吉基

今日の箇所は、最後の晩餐の際に弟子たちに話された「告別説教」と呼ばれているメッセージである。中で「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」とある。それは弟子のことだけではなく私たちのこともである。キリスト教徒の迫害の先頭に立ってパウロが復活の主に出会って回心し大伝道者となり、教会をたて各地に長い手紙を書いたのも、全てパウロという人が主イエスの「友」とされた、ということに起因している。私たちは(弟子たちも)「自分が主イエスを選んだ」と思いがちである。しかし今日の箇所には「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」ともある。信仰とは、神や主イエスを信じることも、また教会につながっていることも、すべて神の選びによるのだと信じられるどうかにかかっている。また「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」ともある。」と続く。この教えが実現するときに、復活された主イエスは今この時も私たちの中で生き続けてくださる。今日の箇所の直前の11節で「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜が満たされるためである」とあるが、これが主イエスの言いたかったことの集約ではないだろうか?いつも喜んで、その喜びがいつも満ち満ちているために、神は私たちを選び、そして友と呼んでくださる。このお招きに応えて、喜んで主をお迎えしよう。