2024年05月一覧

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「神のために力を合わせる」コリントI3:1-9 中村吉基

パウロがコリント教会にあてた手紙には「霊の人」という語が出てくる。聖霊によって新しく生まれ変わった人という意味で、つまりクリスチャンのことである。反対語は「肉の人」、乳飲み子のように言葉を理解せず信仰者として成熟していない人のことで「ねたみや争いが絶えない」コリントの人々は「肉の人」とパウロは手厳しい。具体的には、コリント教会内でユダヤ人から改宗してクリスチャンになったアポロとパウロのどちらを尊敬するかで言い争っている様子である。パウロは「2人とも奉仕者」、キリストへの信仰に導いた器に過ぎないのに、肝心のキリストを見ていないと嘆く。パウロは信仰者としての成長を植物に喩えている。指導者が種をまき、他の指導者が水を注ぐ。しかし成長は神の業である、人間的なことに思いを馳せる「肉の人」を引き上げて成長させるのは神一人であるという。そして今日の箇所の最後では「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」と書く。今年度の代々木上原教会では、「神の同労者」という言葉に大切にして年間聖句とした。私たち一人一人が神の同労者で神が招いてくださった教会で力を合わせて奉仕して教会を形作っていくのである。

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「あなたがたのところに来る」ヨハネ14:15-21 中村吉基

今日の箇所は「告別説教」と言われ、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」という約束を中心に「聖霊」と「イエスが供にいる」というや約束がある。始まりの「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」の掟とは「弟子たちがお互いに愛し合うこと」である。イエスは間もなく去るが「みなしご」にしておかない、弁護者、私たちを助けてくれ、寄り添ってくれる存在が来るという。みなしごは普通家族を失った子供に使われるが、この場合はイエスと弟子の関係に使われている。最後の晩餐の後逃げたように、律法学者や祭司たちの批判に耐えてこられたのはイエスが中心にいたからであった。イエスはそのことを責めず「あなたがたのところに戻って来る」「弁護者を遣わす」と約束して下さった。弟子たちがその弁護者に気がつくのはもう少し先である。続く21節の「掟を受け入れ、それを守る人」とは主の福音の教えを行動に表していくことである。そのような人は神にも愛される人であり、主イエスもご自身を現すことによって愛を示していかれる。