Shimako F一覧

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「あなたはわたしの愛する子」マルコ1:9-11 徳田信

イエスが洗礼をうけたときに「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえた。そこから公生涯が始まったがそれは十字架に終わっている。私たちは生きていく中で様々な困難にぶつかる。人は支えがないと生きていけないが、それは神の支えと言い換えることもできる。神の愛を受け取らないことは罪である。放蕩の限りを尽くした、もしくは尽くしている私たちの帰還を神は待っておられる。

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「負けて勝つとは」 マタイ26:47-52 中村吉基

今日は平和聖日、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」とイエスが言われたとおり、平和を思い浮かべるのではなく作り出すものにならなければならない。沖縄で米国の土地強奪に対して非暴力で立ち向かった阿波根昌鴻の作った「ヌチドゥタカラの家」も壁には「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ」とある。今日の説教題は阿波根さんの言葉である。イエスさまは剣を突きつけた敵たちをゆるされた。「負けて勝つ」とはそういうことである。神さまもまた私たち人間が犯した罪責への悔い改めを受け容れ救いに導いて下さる。

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「永遠の命を得るために」ヨハネ6:41-59 中村吉基

「わたしは天から降って来たパンである」といわれて私たちは受け入れられるだろうか?イエスのこの言葉を聞いた人々は「彼は大工の子で平凡な村人ではないか」とざわつく。それを見たイエスはつぶやき合うのはやめるように、つまり不平を言わず神を見るように言う。イエスは「わたしにつまずかない者は幸いである」とよく言われた。馬小屋で生まれ貧しい人の姿をしたイエスが「天から来た」と言うことが…人は常識を覆されるようなことを言われても即座に信じることはできないのである。しかし私たちと主イエスが結ばれるために神様が手を差し伸べてくださる。人間関係でも心を開いた方が関係はよくなることが多い。神に対しても同じである。私たちは主イエスを本当の「いのちのパン」として信じて受け入れイエスのみ言葉を私たちの日ごとの食物として生きるならば、今日の最後の節51節にあるように「その人は永遠に生きる」ことができる。