三位一体主日一覧

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「心を合わせて祈る」使徒1:12-14 中村吉基

復活された主イエスは、聖霊による洗礼を授けられ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となると語られたと語った後、天に昇られた。場所は通称「オリーブ山」、ベタニアやゲツセマネの園がある場所である。今日の箇所では、聖霊降臨の現場となる部屋、つまり泊まっていた家の上の部屋(the upper room)で使徒たち、婦人たち(おそらくルカ8:2,3に記されているような女性たち)や母マリア、兄弟たちが心を合わせて祈り聖霊降臨を導いた、危機的状況を乗り越えたのである。「嵐の中の教会 ヒトラーと戦った教会の物語」という本にはドイツの小さい村の教会で、ヒトラーの影響は強まる中で、「聖餐式によって生まれる共同体は、国民共同体よりもはるかに深い」といった説教をした牧師と、それを「アーメン」と信徒が受け入れ、一つになった瞬間が書かれている。我々はヒトラーの時代のようには緊張した時代ではないかもしれないが、聖餐はいつでも厳粛な出来事、パンとぶどう酒の形をした主イエスが来てくださり、私たちに入って一体となってくださることである。かつて日本が戦争に突き進んでいた時のようにイエスを格下げすることのないように、私たちは心を一つにして祈るところにのみ、聖霊が与えられることを信じたい

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「希望」 ルカ14:15-24 広石望

ウクライナ侵攻、アメリカの銃乱射など陰鬱な影の中で真の希望に値する未来はあるかをイエスの大いなる晩餐の譬えを手がかりに考える。宴会の招待客全てに参加を断られた主人は町の通りからあらゆる人を招く。当時の常識ではありえないことである。 イエスの神の王国とはイザヤ書にもある山上での宴会であり、イエスが罪人と呼ばれる人々と交わったのもその先取りであり、そこには平和への希望があふれている。 それぞれの時代を生きた福音書の筆者たちは、イエスの譬えを用いて暴力の体験を理解しようとしたり、上昇志向の価値観を内側から変えようとしているのかもしれない。私達も世界の平和を祈っていきたい。