「何事にも時がある」コヘレト3:1-8 中村吉基
今日は先に天に召された聖徒の皆さまを記念しつつ、ご遺族の方々、関係者の方々をお招きし、礼拝を捧げている。 聖書の時代の王の平均寿命は44歳、庶民は30歳前後と考えられている。それに比べると現代は驚くほど長く生きるが、その人生は苦楽が交互に来る「想定外」続き。不運や不幸に会う方もいる。今日の箇所のコヘレトの言葉にその全てが書かれているといってもいいのではないか?キリスト者には「殺す」「憎む」「戦い」などは無縁と思われるかもしれないが、「想定外」に一歩踏み間違えれば過ちを犯してしまう弱さを抱えている。しかし神からすればすべては「想定内」、「定められた時」なのである。 コヘレトは旧約聖書の中では「箴言」などと同じ知恵文学に属する書物である。しかし他と決定的に違うのは「この世のすべてはあらかじめ運命によって定められており、決して変えることはできない」という考えに立っていることである。私たちが「何事にも時がある」ということを予め知っていれば、自分の人生に起こることは「神のみ心」であると信じることができる。イエス・キリストもそのことをよく理解していた。主イエスは宣教の第一声で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と仰った。言い換えれば「いよいよ神の定められた時が来た」ということである。我々の人生はすべてのことが神の「時」の中で進められている。