ペンテコステ一覧

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「最期の言葉」使徒7:54-60 中村吉基

ペンテコステの日に聖霊を受けた主イエスの弟子たちは熱心に福音を人びとに伝えていき、主イエスを信じる人びとが爆発的に増えていった。しかし、教会の中で、背景が違うもの同士のいさかいや分配をめぐり人間的な争いごとが起き始める。そこで使徒たちは「“霊〔聖霊〕”と知恵に満ちた評判の良い人」を選ぶように言う。その中の一人がステファノである。彼は非常に評判のいい人物だったようだが、逮捕されて最高法院での裁判にかけられてしまう。キリスト者たちに敵対している人がステファノとの議論し歯がたたず恨みに思い、偽りの証人に証言をさせるからである。今日の箇所の前半はステファノの弁明である。内容は主イエスを思わせるものであるが、聞いていた人々は激しく怒り、石打ちで処刑するという判決を下す。そして人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた、一方ステファノは「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んで眠りについた。主イエスだけを、主イエスの愛のみを見上げたステファノの強く、雄々しい最期である。この石打ちの現場に「サウロという若者」の名前が登場する。

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「教会は〝ことば〟から始まった」使徒2:1-11 中村吉基

ペンテコステは、失望して閉じこもっていた人たちが、神の力を受けて外に出て行き、同じように悲しみや苦しみの人生を送ってきた人々に「神の偉大な業」を告げ知らせる者へと変えられていった出来事と読み取ることができる。教会の歴史の始まりである。教会は建物ではなく組織でもない。当初の教会はそれぞれの賜物を与えられた人をイエスが召し集め聖霊が接着剤の役目を果たしているのであろう。多様な言葉で話し始めたペンテコステは一致した教会の始まりには思えないかもしれないが、全て神のお創りになったものである。神はこの世界をおつくりになったのもことばによるものであった。今日の旧約はバベルの塔であるが、ここで通じなくなったものがペンテコステで再びつながったのである。この出来事が我々の教会でも実現しているのことである。我々がひとりひとり違っていることを喜び、それぞれが聖霊をお迎えして、この信仰の共同体を、聖霊の力によって前進させていただこう。

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「感動に突き動かされた教会」 使徒言行録2:1-12 中村吉基

ペンテコステの日に神が聖霊を通して何をなさったのか。 主イエスが復活された日の夕方、主の弟子たちに新しいいのちが授けられ50日もの間弟子たちの中にとどまった。しかし、この日はすぐさま弟子たちの内側から外側へと溢れ始めた。聖霊の力を「感」じて「動」きはじめたのである。普段使っていた言葉だけではなく、新しい言葉をもって神を賛美し始め、その様子は酔っているとあざける者もいたほどである。この出来事はいったい何を表しているのか。主イエスの死に失意の中にあった者たちが聖霊の力を受けて外に出て行き、同じように失意の人生を送ってきた人々に「神の偉大な業」を告げ知らせる者へと変えられた。それが教会の歴史が始まりなのである。