中村吉基一覧

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「顔をどこに向けるのか」ルカ9:51-62 中村吉基

キリストに従いながら、生活の場においてイエス・キリストのみ言葉にどうすれば生きて行けるのか。今日の箇所でイエスはエルサレムで待ち受けている自分の最期をじっと見据えている。安全な地に留まらず険しい道を突き進むことが神のみ心であると悟り、自分の命だけを守ろうとするのではなく人々の救うことを望んだ。また弟子が彼らを歓迎しない人々を力でねじ伏せる提案をするといさめる。キリスト者は、力ではなく人を赦す心を持たねばならない。 「キリストの道」を歩む時には大きな決断が必要である。今日の箇所では、イエスに従う者がその前に父を葬ることすら許されないという厳しい話がある。この話は人間的な欲望から解放し、神の救いを得させるための道でもある。百年以上前に、大逆の冤罪で捕まった高木顕明という僧がいた。彼は極貧の門徒の中で暮らすうちに、みなともに生きる同じいのちであるという同朋和敬という考えに至る。これは現代を生きるキリスト者の我々にも通じる大切な教えである。聖書では「鋤(すき)に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とある。油断してほんの少しの間でも主イエスから目をそらしてしまうと悪の力はつけ入る。私達はどこに顔を向けているかを問うて信仰生活を送っていきたい。

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「教会を信じる」ガラテヤ3:26-29 中村吉基

神は私達に使命を与えていらっしゃる、私達は神の世界の出演者である。ともすると自分の欠点ばかりに目がいくが、それは何の得にもならないし神への冒涜でもある。今日の聖書の箇所でパウロは、あなたがたは「キリスト・イエスに結ばれて神の子」であると書いている。つまり、神と結ばれて生きるものとなったという証である。またキリストを着ている者に差はないとも書く。民族も身分も性別も、そしてその属性にかかる差別や役割もないとしている。パトリック・チェンはそれをラディカル・ラブと呼んでいる。教会において、多様な人も受け入れる所であるはずが、排除や差別もある。キリストにおいて皆一つであることを原点として教会を作り上げていきたい。

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グリーフサポートよよぎ

身近な人やペットを亡くした人たちを対象に、代々木上原教会牧師と平田神社権禰宜が協働して行うグリーフサポート(傾聴)活動です。詳しくは当教会にご連絡ください。 グリーフサポートよよぎ チャプレン 中村吉基  

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「感動に突き動かされた教会」 使徒言行録2:1-12 中村吉基

ペンテコステの日に神が聖霊を通して何をなさったのか。 主イエスが復活された日の夕方、主の弟子たちに新しいいのちが授けられ50日もの間弟子たちの中にとどまった。しかし、この日はすぐさま弟子たちの内側から外側へと溢れ始めた。聖霊の力を「感」じて「動」きはじめたのである。普段使っていた言葉だけではなく、新しい言葉をもって神を賛美し始め、その様子は酔っているとあざける者もいたほどである。この出来事はいったい何を表しているのか。主イエスの死に失意の中にあった者たちが聖霊の力を受けて外に出て行き、同じように失意の人生を送ってきた人々に「神の偉大な業」を告げ知らせる者へと変えられた。それが教会の歴史が始まりなのである。

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主の昇天礼拝 2022/5/29

教会からのお願い 新型コロナウイルス対策の一環として、礼拝をライブでも配信しております。ライブ配信を通じて礼拝に参加される方は、以下のリンクからZoomでご参加ください。 ⇒ Zoomで主日礼拝に参加する(※マイクをミュート...

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「イエスのように愛そう」ヨハネ13:31-35 中村吉基

イエスの公生活は3年と長くないが、その中で伝えたかったことのうちの一つが「新しい掟」として「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」というものである。 愛とは相手がいないと成り立たない。双方向の愛がキリストの教える新しい掟である。 普段の生活にいっぱいで愛することは難しいかもしれない。しかし普段関わっている人、すれ違う人もまた神に命を与えられた存在として大切に思いやることが愛することである。私たちは洗礼によって主イエスに結ばれた。イエスの弟子としての証しは、私たち一人ひとりの生き方によってわかる。イエスの教えにかなった生き方をしていなければ真実ではない。イエス・キリストは愛し合う人びとの中に、愛に満ちた共同体に共に生き続けておられる。

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復活節第5主日礼拝 2022/5/15

教会からのお願い 新型コロナウイルス対策の一環として、礼拝をライブでも配信しております。ライブ配信を通じて礼拝に参加される方は、以下のリンクからZoomでご参加ください。 ⇒ Zoomで主日礼拝に参加する(※マイクをミュート...

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「あなたは誰ですか?」ヨハネ10:27-30 中村吉基

本当にクリスチャンなのか?と問われたとき、それが自分の弱さや欠点を指摘であれば気にする必要はない。しかし主イエスから離れていってるのではないか?という意味であれば危険である。主は私たちの羊飼いという信頼があれば安心して永遠の命を与えると主は言われるが、羊飼いなど不要という傲慢さに気をつけなければならない。私たちは神の子どもである。

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「たましいの食事」ヨハネ21:1-14 中村吉基

今日は、イエスが復活後魚とパンで弟子たちをもてなしてくださる箇所である。うらやましい場面であるが、実はイエス様は常に私たちと共にいてくださっている。マザーテレサはミサは霊的な糧であると言った。アメリカで歌われてる賛美歌Part of the Familyで歌われてるように、神の家族として、主イエスの愛に満ちた「たましいの食事」を提供できる教会でありたいものである。

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「キリストのいのちに触れる」ルカ24:1-12 中村吉基

前もって準備していた香料を手にイエスの墓に向かった女性たちは亡骸がなく途方に暮れる。しかし天からの使いに指摘されガリラヤで語られた言葉を思い出し、主が復活なさったことがわかる。しかしその場にいなかった弟子たちには通じない。女性がまともに扱われなかったこともあるかもしれないが、その女性たちが復活を知らせたのである。イエスが十字架で語られた言葉は神の賛美である。人の死はつらいものである。しかしイエスはよみがえられた。私たちの肉体もいつかは死ぬが霊は生き続ける。イースターはいのちを祝う日である。ハレルヤ。