「その日、その時を知る神」マタイ24:36-44 中村吉基

イザヤ書2:1-5;マタイによる福音書24:36-44

今日から待降節(アドヴェント)に入ります。教会は新年を迎えました。4週間余りの間、イエス・キリストの降誕を記念するクリスマスの日を待ち望み、また終末の時、この地上に再び来られるキリストを待ち望む期節です。アドヴェント・クランツに4本のろうそくを毎週一本ずつ点していきます。クリスマスが一番近い日曜日に4本目が点ります。ろうそくの色は夜明けの色、紺や紫を使います。もともと紫の色は昔の王族や貴族が服飾などに用いる色でした。この色は王であるキリストの高貴な色を表すと共にキリスト教会では「悔い改め」の色でもあります。私たちの日々の行いを省みながら、私たちの弱さや過ちをゆるされてクリスマスの日を迎えるための備えの期間がアドヴェントです。ちなみに待降節の第3の主日は、ばら色のろうそくを点します。クリスマスが近づいてきた、ほのかな喜びを示すばら色の主日を過ごすのです。

さて、私たちはこの新しい1年の前半は、主にマタイによる福音書から、主イエスの言葉に聴いていきます。今日の箇所で言われていることは、クリスマスのことには直接触れられていません。終末の時の再臨についての教えです。ここで「人の子」という言葉が出てきますが、これはイエス・キリストのことを表します。まず36節に「その日、その時は、だれも知らない。・・・・・・ただ、父だけがご存じである。」その日、その時と言うのは終末の日についてのことです。そして続く37節で「人の子が来るのは」と始まり、終わりの44節では再び(人の子は)「思いがけない時に来る」と結んでいます。実はこの二つの言葉に挟まれているところが大切な部分です。

まずここで主イエスが仰せになっているのは、旧約聖書の創世記に出てくるノアの物語のことでした。ノアの時代、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりし安穏に暮らしていました。こういう平和な時代というのは歴史を振り返るといつの時代でもそうですが、あまり人々は神のことなどに心を留めることもなく、無関心になります。この時もまさにそうでした。人々は神のみこころのことなどは気にも留めないで自分たちの生活ばかりを優先し、放縦な毎日を送っていたのです。

けれども神を信じていたノアだけは神のみ心をしっかりと受け止めていました。人は誰も神の言葉にも耳を貸そうとはしませんでした。そしてあの洪水は突然やってきたのです。それは神だけが知っておられたことでした。

これに続いて、40節以降にはこのような譬えがあります。

「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される」。「そのとき」というのは人の子が到来する日のことです。しかしそれはいつのことなのか、どのようにやってくるのかは誰にも判らないのです。44節には「思いがけない時に来る」とだけ書かれています。救い主が来られるのは、まったくの神のみ心です。ですから私たちは思慮深く、また忍耐強くその時を待つのです。

42節です。「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」(強調は説教者)。この3つのことを主はお命じになりました。

また今朝の旧約聖書はイザヤの預言に聴きました。「終わりの日に」とイザヤは救いの日の訪れをそう表現します。2節と4節を読んでみます。「終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。・・・・・・主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」。皆が武器を捨てて、争うことを止めて、倒れるものは助け合い、一つ一つのどんなに小さなものでも分かち合い、共に生きる日が来るように、またそのような世界になることができるように、神がもたらす平和を待ち望んでいます。救いの日にはそれがすべて実現するとイザヤは宣言するのです!

待降節がやってきました。今日からクリスマスに向けて、信仰を省みるときです。だれもがクリスマスを楽しみに待ちます。しかし、私たちが本当に待ち望むのは、私たちのこの世界が平和になることです。イエス・キリストが来られたのは地上に平和をもたらすためでした。世界中の人がもれなく幸せになってほしいと神が願われたからです。

今も出口の見えないロシアのウクライナ侵攻が、2022年の大きなトピックとして語り継がれていくことでしょう。預言者イザヤが告げたように、兵器を作ることを一瞬でも早くやめて、今日の食料を得ることのできない人が満たされるようにと祈りましょう。人々が手を取り合って生きるような国々になりますように祈りましょう。主イエスが来られた意味をこの4週間心のうちに考えることができますように。そして私たちが「平和を作り出す」一人になれますように、特にこの期間、豊かにそして絶えず祈り続けましょう。