Shimako F一覧

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「オネシモーー役に立つ者へ」フィレモン1~25 中村吉基

今日の聖書箇所「フィレモンへの手紙」はパウロが獄中で書いたものとされる。内容は、フィレモンの元奴隷で財産を盗んで逃げだしオネシモを、 ローマでパウロに会いキリストにある兄弟として受け入れてほしいというものである。主イエスの十字架によってパウロもフィレモンも赦されたように、今度はフィレモンもオネシモを赦して欲しい、と。フィレモンにとってパウロは先生といっていい存在であるが、命令ではなく「愛に訴えて」、「 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」と書く。歴史の中で人間は身分とか、いろいろな人が持つ「違い」から差別を繰り返してきました。しかし、イエス・キリストに結ばれるならば、「=」イコールで結ばれる、キリストにある、愛する兄弟となることができる。かつて奴隷として逃亡したこともある「役に立たない」オネシモでした。しかし、キリストに出遇って彼は救われたのです。主イエスに出遇って彼は変えられた。オネシモのような私たちに、キリストは近づいて来て救ってくださいました。私たちも喜んで神と人に仕えるオネシモ(役に立つもの)になろう

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「新しいエルサレム」黙示録21:1-4.9-14 廣石望

ヨハネの黙示録が書かれたのは、紀元1世紀末、小アジアのエーゲ海沿岸地域。当時現地エリートは皇帝崇拝を利用し富を得ていた。黙示録の著者はそこに鋭い眼差しを向け「新しいエルサレム」という対抗的な神話を描く。地中海世界をすっぽり覆うばかりの立方体という形状、高価な貴金属でできた都市、食料も病の心配もない。また神殿も祭司もなく軍隊もない。住民全員が市民であり、住民全員が市民であり、かつ祭司だ。以上のヴィジョンは、現代の我々の世界とは大きく異なるが、当時の世界も同様にかけはなれていた。しかし黙示録の著者は絶望せず「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや悲しみも嘆きも労苦もない」という真の世界を夢見た。我々も同様になっていたい。

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「少女よ、起きなさい」マルコ5:21-24a.35-43 廣石望

日本でコロナ禍の影響下で自死した人の数、ウクライナでの戦いなど、死が命をあざ笑っているかのようだ。今日はヤイロの娘の話を手がかりにイエスの命の守り方、復活信仰とは何なのかを考える。 ヤイロスに要請をうけて同行するイエスに次々と邪魔が入る。押し寄せる群衆、出血の止まらない女、そして当の娘の死、人々の嘲笑…しかしイエスはそれを乗り越えただ信じることを命じ、少女に起きなさいと言い、彼女は立ち上がる。現代に生きる我々も、その時代を生きる人々にも理解を超えることであるが、それを通してこの話ではすべてを新しくする「神の王国」の到来を現実化した。 ヨハネ福音書に記されたラザロの復活を読むと、復活信仰とは神の命を与えるイエスへの信頼他ならない。イエスが呼びかける声を聞き、今の世界に神の命から「生きる」ようになるとき、命をあざ笑う死の現実に、今ここで抗えると信じたい。