「使徒言行録29章」使徒28:16-31 中村吉基

イザヤ書6:9-10 ; 使徒言行録28:16-31

使徒言行録を「聖霊言行録」だと言った人がいました。使徒言行録において使徒が主人公のように見えるのですが、そうではなく「聖霊」が主役、聖霊がいかに教会に、そこに連なる一人ひとりに働かれたか、について記されてあります。使徒2章によれば、教会共同体は聖霊から生まれました。主イエスの弟子たちは五旬祭の日に、天から激しい風が吹いてくるような音が響き渡って聖霊降臨を経験します。聖霊が祈りを合わせる弟子たちの上に臨みました。この聖霊によって弟子たちは力を受けて、主イエスのことを語り始めました。それは自分たちの仲間内だけにとどまりませんでした。祈りを合わせていた家から弟子たちは飛び出して行って、さまざまな地方の言葉を語って、出会う人、出会う人に主イエスのことを伝え続けました。弟子たちが伝えたのは主イエスのことのみで、ほかのことについては一切語ることはありませんでした。弟子たちは何を語ったのでしょうか。

あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。(使徒2:36)
わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。(5:30)

彼らが伝えた福音の言葉はこのことだけでした。

弟子たちがさまざまな言葉で話すのを聞いて、人びとは弟子たちの気がおかしくなったのだと思いました。だれもかれも「驚き怪しんで」(2:7)いましたし、「酒に酔っているのだ」(2:13)と言った者もおりました。しかし弟子たちのリーダーであったペトロは堂々と主イエスのことを伝えました。そうするとそのメッセージを聴いていた中から3000人ほどの人が主イエスを受け入れて洗礼を受けたと記録されています(2:41)。

原始キリスト教会はここから発展を遂げて行きます。これはすべて聖霊によって、また聖霊を喜んで受け入れた人たちのなせる業でした。残念ながら三位一体の神についてもそうですが、聖霊というお方については、言葉だけで十分に表現することが出来ません。その深さや重みや素晴らしさについて、私も常々こうして説教で語ることの難しさを感じています。たとえば今、皆さんの目の前でおいしそうなケーキを食べている人がいるとします。皆さんはそれを食べたことがないならば、何と言葉で表現できるでしょうか。信仰とは神秘だと言いますが、聖霊を受けたことのない人はやはり聖霊について証しすることができません。今私たちの教会に必要なのはこの聖霊を一人ひとりが受けることです。使徒言行録の教会では一人残らず、もれなく聖霊を受けたということです。ペンテコステの朝、あの祈りの家で聖霊を受けなかった人は実は一人もいなかったのです。

主イエスはある時こう言われました。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイ5:10)

原始キリスト教会は実は苦難の連続であったのです。

使徒言行録の4:1〜3にこう記されています。

ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、 二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。

パウロがどんなにたいへんな思いをして福音を伝えていたかも私たちは知りました。

たとえばこんなことがありました。

今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、 ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑(くず)、すべてのものの滓(かす)とされています。(コリントの信徒への手紙1 4:11〜13)
苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。(コリントの信徒への手紙2 11:23)

このような逆境の中にあっても、主イエスを宣べ伝えて行った原始教会を動かしていた力は何だったのかと思うのです。それはやはり聖霊がこの苦難を乗り越える力を与えてくださったからだと言えるでしょう。だとすれば私たちの教会にも聖霊は大きな力をくださるに違いありません。

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原始キリスト教会はユダヤ人だけではなく、異邦人(外国人)を受け入れる教会でした。10章にはローマ帝国の百人隊長コルネリオという外国人が登場しますが、神を大切に思う敬虔な信仰の持ち主であったので、神もまたコルネリオを特別に愛しておられました。ある時、神はペトロにコルネリオに洗礼を授けるように命じましたが、ペトロはコルネリオが異邦人だと言うことを理由に拒絶しました。ペトロ自身がまだ福音によって解放されていなかったのです。どうしてもユダヤ的な信仰と選民思想を捨てられなかったペトロでしたが、神は幻を通してペトロをお咎めになりました。それほどまでに神は選ばれた民、ヘブライ民族だけでなく、外国人を救うことを願っておられました。

神が外国人にも聖霊をお授けになったことは当時のユダヤ人にとってはたいへんショッキングな出来事でした。しかし神はすべての人間を救おうとするご計画を着々と成し遂げられました。

パウロもまた3回にわたる伝道旅行を通して外国人伝道をしました。外国人伝道をすればするほどユダヤ人たちからは疎まれ、先ほどあったように「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした」という状況に追い込まれました。パウロは福音のメッセージはすべての人を救いに導くということを伝えたかったのでした。そこにはあらゆる民族や国民、すべての性別・性的指向を持つ人びと、子どももおとなも、貧しい人も豊かな人もだれもが神の国では主人公なのだということです。神はすべての人に聖霊を注いでくださり、恵みも等しくお与えくださるのです。

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さて、今日の箇所は使徒言行録の最後の結びです。

パウロはローマ帝国によって逮捕され、裁判のためにローマに送られますが、その最期について聖書は伝えていません。ローマで処刑されたと伝えられています。しかし30節に「自費で借りた家に丸2年間住んで」とあります。何らかの理由で2年間は誰からの援助も受けずに自由に過ごすことが出来ました。そして「訪問する者はだれかれとなく歓迎し」これが大切なところです。この時、パウロはローマでユダヤ人たちと決別していましたので、「だれかれ」というのは異邦人を指すものと理解していいでしょう(もしかしたらユダヤ人とも会っていたかも知れませんが…)。

そしてパウロは31節「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」。この「全く自由に」という言葉は本来の意味は「全く大胆に、何の妨げもなく」という意味です。不思議といえば不思議な言葉です。パウロは囚人としてローマに送られていたにもかかわらず、「全く自由に」とはどういうことでしょうか。パウロは好き勝手に宣教していたわけではありません。使徒言行録をはじめ聖書には記されていませんが、彼はこのローマでやがて殉教するのです。彼の身は自由ではなかったのです。けれども彼は主イエスの福音において、「大胆」になることができたのです。福音が世の権力からの干渉や世間から受ける冷たい眼差しから「自由」になることができたのです。

使徒言行録の最初は、主イエスを失ったことで落胆していた弟子たちの姿から始まりました。しかし、今、エルサレムから始まった福音宣教が、さまざまな迫害や困難を経て、「全く大胆に、何の妨げもなく」行われるまでになりました。これこそ聖霊のもたらした実りでした。

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さて、今日の説教題を不思議に思ったかたがあるかもしれません。使徒言行録は正真正銘この28章で終わります。けれども使徒言行録には終わりがないと言ってもよいかもしれません。私たちは文章を終わらせるに「。」を付けますが、使徒言行録には「、」しか付けられていないと考えてよいのです。この使徒たちから主イエスのことを伝えられ、福音を信じた人たちから、また福音を知らない人たちへと伝道され、教会が建てられ、そこで教え、また新しい教会が建てられ、新しいキリスト者が生まれ、2000年の間、引き継がれてきました。そうしてここにいる私たち一人ひとりも福音を信じ、イエスを主と仰いできました。その歴史が今日の説教題「使徒言行録29章」そのものです。そして私たちの教会もまたこの29章に連なり、29章に描いていく教会にならなければなりません。

「使徒言行録」の最後に記されている言葉です。31節の後半です。

神の国を宣(の)べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。