聖霊降臨節第5主日礼拝 2022/07/03
本日の礼拝 旧約聖書:イザヤ書66:10-14新約聖書:ルカによる福音書10:1-9説 教:「一人より二人」中村吉基 本日の集会 教会学校(Zoom):9:00「星空の恵み」(詩編136:9)内山伸子定例役員会(Zo...
Yoyogi-Uehara Church
本日の礼拝 旧約聖書:イザヤ書66:10-14新約聖書:ルカによる福音書10:1-9説 教:「一人より二人」中村吉基 本日の集会 教会学校(Zoom):9:00「星空の恵み」(詩編136:9)内山伸子定例役員会(Zo...
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キリストに従いながら、生活の場においてイエス・キリストのみ言葉にどうすれば生きて行けるのか。今日の箇所でイエスはエルサレムで待ち受けている自分の最期をじっと見据えている。安全な地に留まらず険しい道を突き進むことが神のみ心であると悟り、自分の命だけを守ろうとするのではなく人々の救うことを望んだ。また弟子が彼らを歓迎しない人々を力でねじ伏せる提案をするといさめる。キリスト者は、力ではなく人を赦す心を持たねばならない。 「キリストの道」を歩む時には大きな決断が必要である。今日の箇所では、イエスに従う者がその前に父を葬ることすら許されないという厳しい話がある。この話は人間的な欲望から解放し、神の救いを得させるための道でもある。百年以上前に、大逆の冤罪で捕まった高木顕明という僧がいた。彼は極貧の門徒の中で暮らすうちに、みなともに生きる同じいのちであるという同朋和敬という考えに至る。これは現代を生きるキリスト者の我々にも通じる大切な教えである。聖書では「鋤(すき)に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とある。油断してほんの少しの間でも主イエスから目をそらしてしまうと悪の力はつけ入る。私達はどこに顔を向けているかを問うて信仰生活を送っていきたい。
本日の礼拝 旧約聖書:列王記上19:15-16,19-21新約聖書:ルカによる福音書 9:51-62説教:「顔をどこに向けるのか」中村吉基牧師 本日の集会 教会学校 9:00(ティーンズ科 第2・第4主日...
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神は私達に使命を与えていらっしゃる、私達は神の世界の出演者である。ともすると自分の欠点ばかりに目がいくが、それは何の得にもならないし神への冒涜でもある。今日の聖書の箇所でパウロは、あなたがたは「キリスト・イエスに結ばれて神の子」であると書いている。つまり、神と結ばれて生きるものとなったという証である。またキリストを着ている者に差はないとも書く。民族も身分も性別も、そしてその属性にかかる差別や役割もないとしている。パトリック・チェンはそれをラディカル・ラブと呼んでいる。教会において、多様な人も受け入れる所であるはずが、排除や差別もある。キリストにおいて皆一つであることを原点として教会を作り上げていきたい。
本日の礼拝 旧約聖書:イザヤ書65:1-9新約聖書:ガラテヤの信徒への手紙3:26-29説教:「教会を信じる」中村吉基牧師 本日の集会 教会学校 9:00(ティーンズ科 第2・第4主日 9:50)9:00「父の愛...
ウクライナ侵攻、アメリカの銃乱射など陰鬱な影の中で真の希望に値する未来はあるかをイエスの大いなる晩餐の譬えを手がかりに考える。宴会の招待客全てに参加を断られた主人は町の通りからあらゆる人を招く。当時の常識ではありえないことである。 イエスの神の王国とはイザヤ書にもある山上での宴会であり、イエスが罪人と呼ばれる人々と交わったのもその先取りであり、そこには平和への希望があふれている。 それぞれの時代を生きた福音書の筆者たちは、イエスの譬えを用いて暴力の体験を理解しようとしたり、上昇志向の価値観を内側から変えようとしているのかもしれない。私達も世界の平和を祈っていきたい。
2022年6月12日日曜日、代々木上原教会の三位一体主日礼拝の週報です。