Shimako F一覧

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「かけがえのない存在」ルカ15:1-10 中村吉基

人はなぜ競争し、勝たなければならないのか?仕事や才能、豊かさ、損得をもって価値を決めるのか?と最近よく考える。イエスさまの価値観は現代社会とは真逆のところにある。イエスは徴税人や罪人(とレッテル貼りされた人々)と食事を供にされた。なぜ彼らと親しくするのか不満に思うファリサイ派や律法学者たちと訊かれたとえ話をなさる。100匹の羊、なくした銀貨。いうまでもなく、みつかった1匹の羊や見つけられた銀貨は私達のことである。無事に見いだされるまで神さまは決して喜ばれない。ひとりひとりがかけがえのない存在なのである。

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「オネシモーー役に立つ者へ」フィレモン1~25 中村吉基

今日の聖書箇所「フィレモンへの手紙」はパウロが獄中で書いたものとされる。内容は、フィレモンの元奴隷で財産を盗んで逃げだしオネシモを、 ローマでパウロに会いキリストにある兄弟として受け入れてほしいというものである。主イエスの十字架によってパウロもフィレモンも赦されたように、今度はフィレモンもオネシモを赦して欲しい、と。フィレモンにとってパウロは先生といっていい存在であるが、命令ではなく「愛に訴えて」、「 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」と書く。歴史の中で人間は身分とか、いろいろな人が持つ「違い」から差別を繰り返してきました。しかし、イエス・キリストに結ばれるならば、「=」イコールで結ばれる、キリストにある、愛する兄弟となることができる。かつて奴隷として逃亡したこともある「役に立たない」オネシモでした。しかし、キリストに出遇って彼は救われたのです。主イエスに出遇って彼は変えられた。オネシモのような私たちに、キリストは近づいて来て救ってくださいました。私たちも喜んで神と人に仕えるオネシモ(役に立つもの)になろう

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「新しいエルサレム」黙示録21:1-4.9-14 廣石望

ヨハネの黙示録が書かれたのは、紀元1世紀末、小アジアのエーゲ海沿岸地域。当時現地エリートは皇帝崇拝を利用し富を得ていた。黙示録の著者はそこに鋭い眼差しを向け「新しいエルサレム」という対抗的な神話を描く。地中海世界をすっぽり覆うばかりの立方体という形状、高価な貴金属でできた都市、食料も病の心配もない。また神殿も祭司もなく軍隊もない。住民全員が市民であり、住民全員が市民であり、かつ祭司だ。以上のヴィジョンは、現代の我々の世界とは大きく異なるが、当時の世界も同様にかけはなれていた。しかし黙示録の著者は絶望せず「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや悲しみも嘆きも労苦もない」という真の世界を夢見た。我々も同様になっていたい。