終末前々主日礼拝
終末前々主日礼拝 10:30 (召天者記念) 司会・説教 廣石 望 奏 楽 鈴木伶子 前 奏 (黙祷) 招 詞 (詩100,1-2) 讃 美 歌 382「力に満ちたる」 交 読 文 詩編90編(讃美歌末尾よりp.100) 旧約聖書 ヨブ記1,20-21 (旧p.776) 新約聖書 ローマの信徒への手紙14,7-9 (新p.294) 祈 祷 説 教 「生きるにも死ぬにも」 祈 祷 讃 美 歌 385「花彩る春を」 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 28「み栄えあれや」 祝 祷 後 奏
- 教会学校 9:00〜 (テモテ 二 3:12-17)渡辺 峯
本日礼拝後
- 礼拝後 ご遺族の方々を囲んだ茶話会、会議室Aで、13:00ころまで
今週の集会
- 祈り会 11月13日(水)10:30−11:30会議室A。村上牧師の「箴言」講話(テープ)を聴いて共に祈ります。
次週(11月17日)予告
- 終末前主日礼拝 10:30〜
聖書:マルコによる福音書13,3-13
説教:「あらゆる民に」 廣石望
- 教会学校 9:00〜 「収穫の喜び」(詩33,5)村上典子
- オリーブ会 9:40-10:00
- 青年会 「東京大行進について」(M.ダンカン)
- ガリラヤ会 クリスマスカード作成(指導 岡本千枝子)
- 壮年会 「イスラム教とは?」(松山正男)
今後の礼拝・集会予定
- 12月1日 第1アドヴェント
- 12月22日 クリスマス礼拝、祝会、教会学校クリスマス
- 12月24日(火) 聖夜燭火礼拝、キャロル
牧師室から
この世では、すべてのことに〈終わり〉がある。私たちもいつかは死ぬ。聖書が人を「肉」と呼ぶとき、被造物としての有限性を意味する。「神は御心に留められた/人間は肉にすぎず/過ぎて再び帰らない風であることを」(詩78,39)。
西欧には、そのような終わりを覚悟して〈今〉を生きることが人の本分だ、と教える哲学伝統がある。キリスト教も「memento mori死を覚えよ」と教えてきた。そして世界中の多くの宗教に、何らかの意味で「死後の生life after life」に関する教えがある。
これに対して近代思想は、人の希望や義務や行動を公的に検証可能な領域に限定することから始まった。今では「天国」や「地獄」と言われても〈お伽噺〉にしか聞こえず、「死」の意味を社会で共有することは困難だ。
では、人は本能や欲望の赴くままに生きて、終わりがくれば〈はい、それまでよ〉式に死ぬかというと、やはりそうはいかない。希望なしに生きることはできないし、人が死者を悼むことを止めることもないだろう。
イエスの言葉に、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れよ」というものがある(マタイ10,8参照)。人ではなく、神のみを恐れよという勇敢な教えだ。
いわゆる霊魂不滅説はキリスト教起源ではないが、〈終わり〉にさいして「魂」のことが肝心になるのは間違いないだろう。(廣石望)