昇天後主日礼拝《ききたまえ》
昇天後主日礼拝 午前10:30 司会・説教:陶山義雄 奏楽:槙和彦 前 奏 (黙祷) 招 詞 詩編98,1-3 讃 美 歌 57(ガリラヤの風かおる丘で) 交 読 マタイ6,25-34(教会備付 「交読文」p.46) 聖書朗読 申命記33,1-4、29 (旧p.336) マタイによる福音書5,1-12 (新p.6) 祈 祷 証 し 「幸福への招き」(山上の垂訓講解説教 第1回) 陶山義雄 祈 祷 讃 美 歌 61(われらは信ず) 献 金 感謝祈祷:礼拝当番 讃 美 歌 337(たたえよ、この日) 主の祈り 93-5A 頌 栄 25(父、子、聖霊に) 祝 祷 後 奏
- 教会学校 9:00「マティアの選出」(使徒1,12-26) 村上進
- オリーブ会 CS分級時、A会議室 担当:村上進
本日の集会
- 定例役員会 礼拝後〜15時 A会議室
今週の集会
- 祈り会 6月5日(水) 10:30-11:30 A会議室。担当:内山伸子
次週礼拝等(2018年6月9日)予告
- ペンテコステ(聖霊降臨祭)家族音楽礼拝
聖書:使徒言行録2,1-13
お話:「聖霊が降り注ぐ教会」村上典子
奏楽:原田由加
- ※ 9時からの教会学校はありません。
- 聖歌隊練習 6月9日(日)11:45-12:45 会堂
- 墓前礼拝:(多磨霊園・代々木上原教会墓地) 6月9日(日) 礼拝後移動し、14時頃から始めます。 自家用車を何台か出しますので、同乗ご希望の方はお申し出ください。
5月出席数報告
男 女 計 5日 主日礼拝 15 21 36 教会学校 子ども 0 3 3 おとな 2 4 6 8日 祈り会 1 3 4 12日 主日礼拝 11 27 36 教会学校 子ども 2 6 8 おとな 2 5 7 15日 祈り会 1 2 3 19日 主日礼拝 11 20 31 教会学校 子ども 2 8 10 おとな 4 7 11 22日 祈り会 1 3 4 26日 主日礼拝 9 22 31 教会学校 子ども 3 8 11 おとな 4 5 9 29日 祈り会 2 1 3 主日礼拝出席数平均 34.0人 (前月38.8人)
牧師室から−幸福について−
本日の説教の中で「幸福」について三つの側面から見つめる途を紹介しました。第一は物質的欠乏が満たされている状態、第二は自己が設定した目標など、精神的欠乏が満たされた状態、そして第三は宗教的充足感としての幸福でした。前の2つについては誰もが了解し易いと思うので、最後の幸福感について補足を加えておきます。それは恵みによって与えられていることの認識、感謝の受容的態度にあります。命や健康は正にこの領域にあります。これを「宗教的幸福感」と説教では申しました。
命も、健康も、それが実際に与えられている時には、それを当たり前のことと見做して幸福とは受け止めることが往々にして出来ないが、失われて初めて感じることの出来るものです。親しい相手を喪った痛手は不幸としか言いようがないのですが、一方では、共に生きていた時がどれほど幸せであったのか、愛する命を失って初めて分かる、その境地の中に真の幸福とは何か、と云う宗教的幸福を感じる途が拓かれて来ます。
自分の死をも受容できる所に究極的な救いと幸福があるのですが、そうでなければ、どうして感謝と喜びをもって人生を閉じることができるでしょうか。命も、健康も、そして死でさえも究極的には創造主の恵みによって与えられるものなのです。
ヴィクトール・フランクル(1905〜97)はナチスの強制収容所体験をもとに『夜と霧』を著わし、その最終章「深き渕より」の中で、「収容所におけるすべての人間は・・・『幸福』を問題にしないのである。・・・『不幸』と云うものも殆ど理解されていない。」と述べています。外から見れば不幸としか云いようのない状況下で、「第一、第二の幸福」は最早、通用しないと云っているのです。しかし、死の前日に或る婦人が人生を回顧してこう語った言葉を収録しています:「私をこんなひどい目に遭わせてくれた運命に対して私は感謝していますわ。・・・あそこにある樹は一人ぼっちの私のただ一人のお友達ですの。この樹と良くお話ししますの。あの樹はこう申します。私は〜ここにいる〜私はいるのだ。永遠の命だ。」彼女は究極的な幸福を見ています。
(陶山義雄)