2013.11.10

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「生きるにも死ぬにも」

廣石 望

ヨブ記1,20-21; ローマの信徒への手紙14,7-9

I

 パウロが手紙を書いているローマ教会は、ユダヤ人出身のキリスト教徒と異教徒出身のキリスト教徒たちから成る混成教会でした。彼らが住んだのは古代都市ローマの「下町」で、長屋のような小さな集合住宅がたくさんある地域であったろうと推定されています。こうした地域には、帝国の東方から流入した人々が多く住んでいました。

 ローマ教会の創立について詳しいことは分かっていません。パウロは自己紹介を兼ねてこの教会宛ての手紙を書いているので、彼自身はこの教会の設立には関与していません。最初のローマ伝道はおそらく商業ルートに乗って、南部カラブリアの港町プテオリ(現在のプッツォーリ)からイタリア半島に入り、アッピア街道を通過して都市ローマに達したのでしょう。これは、パウロ自身が未決囚として都市ローマに入ったルートでもあります。伝道の足がかりとしてはユダヤ教の会堂が利用されたことでしょう。教会の成立が紀元30年代の前半であったと仮定すると、パウロが手紙を書いている時点で、すでに20年以上の歴史があります。

 

II

 紀元49年、クラウディウスの勅令というものが発布されます。「ユダヤ人はクレストゥスの騒動で絶えず騒擾を起こしたから、彼(クラウディウス)は彼らをローマから追放した」というものです(スエトニウス「クラウディウス伝」25,4)。使徒言行録に、「クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるよう命じた」と書かれている事件です(使徒言行録18,2)。

 皇帝の勅令は、都市ローマ在住のユダヤ人共同体に「クレストゥス」という名の騒乱者がいたという意味に読めます。しかし多くの研究者が「クレストゥス」は「クリストス」、すなわちキリストの聞き違いであろうと推定します。つまり「キリスト」をめぐって、都市ローマのユダヤ人共同体に揉め事が生じた…。

 いったい何があったのでしょうか。大成功を収めた異邦人伝道がユダヤ人の民族的アイデンティティを危うくするものとして問題視されたのではないか、また「神を恐れる者たち」と呼ばれたユダヤ教シンパサイザーがごっそりキリスト教にもっていかれたために、ユダヤ教会堂側が猛烈に抗議したのではないか、などの推定がなされています。とにかく民族共同体の中で揉め事が頻発したので、皇帝はユダヤ人の指導的な立場の人々を――ユダヤ教徒もユダヤ人キリスト教徒もいっしょに――都市ローマから所払いにしました。

 ユダヤ人キリスト教徒が去った結果、都市ローマのキリスト教は異邦人キリスト教が主流になりました。おそらくこの時期に、ローマのキリスト教は、ユダヤ教会堂連合とのつながりを断っていったでしょう。クラウディウスの死(紀元54年)によってこの勅令は取り下げられ、かつてのユダヤ人キリスト教徒が再び都市ローマに帰ってきたとき、ローマ教会の内部で両勢力のバランスが危うくなったのです。

 パウロはこの手紙で、両者が相互理解と一致を目指すよう、くりかえし勧告しています。直前の文脈には「何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べる」(14,2)とか、「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいる」(5節)とか言われており、彼らが相当に異なる文化習慣をもっていたことが分かります。これに対してパウロは、「他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか」と語りかけます(4節)。キリストが主(主人)であり、どちらのグループも同じ主人の奴隷たちなのに、奴隷が主人面をして仲間の奴隷を批判するのは筋が通らない、という意味です。

 その上で、考え方の異なる者たちをつなぎ合わせるものとして、生きることと死ぬことにおける主イエスとの関わりについて語られます。

 

III

 自分のために生きたり、死んだりする者はいない。私たちは皆、主に生き、主に死ぬ。私たちは主のものだから(7-8節参照)。

 「自分のために」「主のために」と訳されている箇所の原語は、それぞれ「自分に」「主に」です。おそらく生きることや死ぬことが〈関係〉の中で生じると理解されています。つまり生きること、死ぬことにおいて、自分自身との関係でなく、主イエス・キリストとの関係が最優先されるということなのでしょう。

 自分自身との関係とは、とりあえず「自覚」のことではないかと思います。私たちは自分で自分に納得した上で生きたい、そして死にたいと思います。何のために、何を努力したり、耐えたりするのかを自分で分かっていたい。そしてできることなら、自分で自分に納得しながら生を終えたいものだと思います。

 しかし、どれほどの自覚や決意をもとうと、またどれほど努力したところで、人生は最終的には思い通りにはいかないものです。生きることですらそうなのですから、死ぬことになると、およそ自分の決心や努力で何とかなるものではありません。しかし私自身の自覚に先立って、あるいは自覚を超えて、私に与えられている関係があります。それが「主」イエス・キリストとの関係です。そして自覚においてこんなにも違う者たちが、生きるにも死ぬにも、等しく主イエスに属するしもべたちなのです。

 

IV

 さらにパウロは、「キリストは死んだ、そして生きた」、その結果「彼は死者たちと生者たちの両方の主である」と言います(9節)。

 キリストが「死んだ/生きた」とあるのは、彼の十字架の死と復活をさすのでしょう。このできごとのゆえに、「死者たち/生者たち」の双方にとって「主キリスト」という共通性が生じます。

 通常、死んだ者たちと生きている者たちの間には、大きな切れ目・隔たりがあります。世界中の多くの宗教儀礼が、死者たちをいま生きている人々から遠ざけて区別し、死者たちの境界を定めて、彼らが生きている者たちにやたらと影響を与えるのを退けることを目的としています。

 他方で死者たちほど、私たちを怖がらせると同時に魅了する存在はありません。もはや手の届かない存在である死者たちを、私たちは限りない憧れをもって想起します。しかし亡くなった者たちにすっかり〈とりつかれて〉しまうことも避けるべきだ、という考え方が世界の諸文化にあると思います。

 パウロは、イエスが死せる者と生ける者の「主」であると言います。キリストが「死んだ、そして生きた」ことにより、生と死の断絶が乗り越えられました。こうして、生きている者たちの間だけでなく、生者と死者の間でも「キリストのしもべ」としての交流が開けたのです。

 「使徒信条」の第三項目に「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがへり、永遠の命を信ず」とあります。――「聖徒の交わり」つまり聖なる者たちの交流と言われるときの「聖徒」には、生きている者たちだけでなく、死者たちも含まれます。キリストが「主」であるがゆえに、生きている者たちは死んだ者たちともつながっているのです。

 

V

 今日は召天者記念礼拝です。週報の裏面には、天に召された方々のお名前が掲載されています。

 その中で、おそらく最も長寿であられた川西田鶴子さん(1898-1999年)が、96歳のときに口述筆記された文章が残っています。彼女は若いころから内村鑑三や矢内原忠雄の薫陶を受け、その才能を生かしてたいへんよい働きをされました。

 彼女は、ファリサイ人と徴税人のたとえ(ルカ18,9以下)を引用しながら、「それが己の功でした。クリスチャンらしく生きたい。私はクリスチャンらしく生きてきた人間だと、生涯の終わりが近いこの頃、ふとそういう思いが顔を出すのです。それが自分の誇りでありました」と書いておられます。しかし、ただちにこう続きます。

 信仰とはそういうものではない。クリスチャンらしい生き方をしてそれで救われるのではないのだと、やっと分かってまいりました。…罪の赦しによって救われるということが、どんなに大きなお恵みでありますか。才能、力をもっている者はどうしても自分の力に頼るということがありますが、その誇りを砕かれること、自分を一介の罪人として神様の前に、人の前に投げ出すことは、神様がさせて下さらなければ絶対にできることではありません。それが「十字架」だったということが、初めて分かったのです。
(『主に負われて百年 川西田鶴子文集』新教出版社、2003年より)

 私たちも、このような神への信頼を目指して、歩んでゆきたいと思います。

 

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