主日礼拝一覧

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「備えあれば憂いなし」ルカ12:32-40中村吉基

当時の主イエスの一門は、吹けば飛ぶような小さなグループで社会の中での影響力はほとんどゼロに近かった。主イエスは弟子たちを励まして、そんな彼らに勇気を与えたのが今日の福音の言葉である。どんな状況に置かれても彼らを愛し、彼らのことを忘れない神がおられる。 弟子たちは自分の賜物、時間、力、思いを主イエスのためにささげた。「小さな群れよ、恐れるな」という福音のことばは、今の我々に語られている言葉である。忙しさにかまけて自分のことを優先してしまっていないか。しかし、力・時間・思いをささげて行動することで教会の足腰は鍛えられていく。 最後の晩餐の折に、主イエスは自ら弟子たちの足を洗い、新しい食事(聖餐)を制定された。これは、すべての人が招かれている救いの宴を先取りして祝われるものである。すべての人が神にあってその喜びに与る日まで今日も礼拝をささげている。普段の生活の中で、備えて生きるためであり、大きな希望を信じて生きるためである。

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「本当の豊かさとは?」ルカ12:13-21 中村吉基

イエスに相談に来た人にイエスは金持ちのたとえ話をする。金持ちが豊作すぎて倉に入りきらないという悩みである。そして彼は今ある倉を壊してさらに大きい倉をたてようと思いつく。しかし神は金持ちに愚か者という。そしてイエスは自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこの通りだ、と続ける。金持ちの男は非常に自己中心的である。それは彼だけではない。私達とて自分の周りのことだけに執着していないか、苦しみからの脱却を求めて宗教に頼っていないか。苦しい時の神頼みではなく、順調な中で神と共に生き生かされいるのが私達の信仰である。本当の豊かさとは、倉をつくって貯め込むことではなく、喜んでだれかに差し出す中に与えられることであるとイエスは言われいてるが、それは2000年後の我々にも通じる言葉である。

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「あなたがたは神の家族です」エフェソ2:14-22 宮島牧人(原町田教会)

牛久に赴任になったのを機に通い始めた入管収容所。そこに収容されている人は、命の危険があるため国に帰ることもできず、難民申請をしているが認められず不法滞在者として収容される。しかも近年ますます厳しくなってきている。彼らを入管職員を犯罪者のように扱うが彼らは書類不備なだけで犯罪者ではない。しかも収容期間に終わりはない。そんな生活の中で収容者の絶望は深い。また通っていても無力さを感じずにはおれない。悪い結果が待っていても、仲間やみ言葉に励まされて、こんなに小さなわたしであっても神はまだ用いてくださると思うことができる。19節「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」。すべての教会は自分の国に来ている外国人に向かってこの19節を福音として伝える。「教会にどうぞ来てくださいあなたたちも神から生まれた神の子ども、神の家族だからです。」

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聖霊降臨節第8主日礼拝 2022/7/24

インターナショナルサンデー―—外国人の人権のために祈り、民族主義と平和を考える 本日の礼拝 旧約聖書:レビ記19:34新約聖書:エフェソの信徒への手紙2:14-22説 教:「あなたがたは神の家族です」宮島牧人(日本キリスト...

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「私の隣人とは?」ルカ10:25-37 中村吉基

イエスが宣教していたガリラヤは貧しい地方であった。懸命に開墾しても税金がとられ破綻してしまう。イエスは社会の中で差別された人々と交流し、どんな人であっても「神に愛されている人」とした。それはガリラヤという辺境に生き、人間扱いされてこなかった人々に、主イエスの教えはまさに「よいニュース」であった。 今日の譬えのサマリア人は、当時のユダヤ人からすれば決して「隣人」の範疇には入らない。しかし、このサマリア人は祭司やレビ人が通り過ぎる中、傷ついた旅人を介抱し宿屋につれていって費用まで払った。私たちも、このサマリア人のように、その人の痛みと自分の痛みとして、すべての人を隣人として寄り添うものでありたい

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「一人より二人」ルカ10:1-9 中村吉基

今日の箇所では12人の使徒に続き72人を派遣したとある。72とは全世界の民族の数とされる。派遣の際は「二人」ずつであった。お互いの協力、互いの思いやりを通して、言葉ではなく行いで神の愛を伝えられるし、旧約では証言するときには、一人ではなく二人の証言が有効なものだと考えられていた。宣教では、石を投げられるなど厳しい場合もある。イエスはとても案じ続けてらした。また何も持たず行けという少々酷な言葉もある。ただ「神の国の福音」を持っていくのである。相手といい関係が作れない時もある。その際は相手の平和を祈ることが大切である。私たちは何も心配することなく、ただ神にすべてを委ねて福音の宣教に励み、主イエスは私たちの救い主です!と証ししたい。