コルネリウス一覧

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「あなたはそれでも……?」 使徒15:1-12 中村吉基

当初ユダヤ人だけで構成されていた教会は、徐々に異邦人のキリスト者が増えていった。今日の箇所、アンティオキアの教会でも同様であったが、そこで一部のユダヤ人が「割礼をうけなければあなたがたは救われない」と教え始める。しかしそれは福音のメッセージとは違う。パウロとバルナバはこの件につい激しい論争をするが、その判断をエルサレムに託す。エルサレムにはペトロもいた。すでにコルネリウスらに伝道したことですっかり外国人への見方がかわっていペトロは「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じこと」と主張する。人間が努力をして救いを得ることはできない。私たちが救われるには神が差し伸べてくださる御手につながることである。救いは一方的な神の恵み、神の「無条件」の愛によるものなのである。

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「聖霊を受けよう」使徒10:44-48 中村吉基

明治初期のキリスト教の教会をめぐる記録には「聖霊に満ちた」経験がいくつかある。J・H・バラ宣教師の夢やそれに続くリバイバル、池袋清風の祈りなどである。今日の箇所でも、コルネリウスの家で話していたペトロは、そこにいた人は皆聖霊が降ったことに驚いた。ユダヤ人以外にも降ったからである。そこでペトロは神のみ心を悟った。これによりペトロは自分で作っていた律法を捨てるという劇的な変化をとげる。この教会にも働いてくださってる。聖霊の働きの祈りは、食事や睡眠のようになっていないだろうか?主イエスが来てくださって、私の人生を変えてくださることを信じて祈るならば、聖霊は来てくださる。それを求めて真剣に祈りを合わせたい。

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「行動する人、しない人」使徒10:1−16 中村吉基

使徒言行録10章に出てくるコルネリウスは異邦人の百人隊長で、ユダヤ教に改宗こそしていないが信仰心あつい人であった。ある日彼の前に現れた天使に「ヤッファにいるシモン・ペトロをを招きなさい」と言われ、すぐに2人の召使と信仰心の厚い兵士を送る。一方ペトロの前にも天使が現れ、ユダヤの律法で禁じられているものを屠って食べるように命じるが「できない」と断る。すると「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という声がする。コルネリウスとペトロは行動が対照的である。ペトロはコルネリウスとの交流で神の声を悟る。私たちはペトロのように自分の作った律法で最初から結果を決めつけて行動に移さないことがないだろうか?私たちは神に命じられた時にすぐに立ち上がることができるか問われている。