Shimako F一覧

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「行動する人、しない人」使徒10:1−16 中村吉基

使徒言行録10章に出てくるコルネリウスは異邦人の百人隊長で、ユダヤ教に改宗こそしていないが信仰心あつい人であった。ある日彼の前に現れた天使に「ヤッファにいるシモン・ペトロをを招きなさい」と言われ、すぐに2人の召使と信仰心の厚い兵士を送る。一方ペトロの前にも天使が現れ、ユダヤの律法で禁じられているものを屠って食べるように命じるが「できない」と断る。すると「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という声がする。コルネリウスとペトロは行動が対照的である。ペトロはコルネリウスとの交流で神の声を悟る。私たちはペトロのように自分の作った律法で最初から結果を決めつけて行動に移さないことがないだろうか?私たちは神に命じられた時にすぐに立ち上がることができるか問われている。

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「ことばで土の器に触れる神」コリントⅡ4:6-12 佐原光児

パウロはコリントにあてた手紙の中で人間に対して「土の器」と使っているが、これは旧約から続く、壊れやすさや弱さを象徴するものである。彼は生き方ゆえに裏切りや疑惑、投獄などを経験し心が折れている。しかし人は苦しみの中でこそ「キリストの福音と出会う」と考えた。私たちも経験する苦難は、不信心の罰などではないが、その中でこの脆い土の器と共に生きる神を知っていくのである。今日の箇所でパウロは、創世記から「光あれ」という言葉も使っている。神は打ちのめすような闇の中で、「光あれ」という言葉と共にわたしたちに触れ、共に生きていると分かるように語りかけて下さる。私たちもそうした言葉を、必要な人に運んでいく大切な役割を託されている。

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「目を覚ましていなさい」マルコ13:32-37 廣石望

聖書における「世界の終わり」はまさに世界が壊れるというイメージであるがその後に「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来」て、「選ばれた者を四方から呼び集める」とある。神による救済である。これがいつなのかはわからないので、イエスは「気をつけて、目を覚ましていなさい」と教え、主人がいつ帰ってくるかわからないからしもべはそれに備えておかなければならないというたとえ話をなさる。しっかり準備をしておかなければならないのである。これは自分のためだけの準備ではない。どんなに小さな者の痛みや死も神の前で忘れ去られることはないことを覚え、目を覚まして何が真の平和をもたらものであるかを見分けるためのトレーニングをしなければならない。