「心を抉られる経験」使徒2:37-42 中村吉基

ヨエル書3:1-5;使徒言行録2:37-42

五旬祭の日に聖霊を受けた弟子たちはその後どう歩んだのでしょうか。それは決して順風満帆な歩みをしたのではなく、苦労が絶えることはありませんでした。昔も今も福音を宣べ伝えるということに苦労は付き物です。ある時には弟子たちが捕らえられてしまったこともありました。その中にはステファノのようにいのちを落としてしまう者もおりました。

私たちはこのように考えるかもしれません。「主イエスはご自分に代わる『助け手』として聖霊をお送りくださったはずではないか」。しかし結果からすれば福音の言葉はこの時から少しずつ世界中に拡がって行ったのです。

五旬祭の日に聖霊を受けてさまざまな言葉で語り始めた弟子たちを見た周囲の人びとは「いったい、これはどういうことなのか」(2:12)と驚きを隠しきれませんでした。今日の箇所の直前にある14節から36節までには、ペトロの語った説教が収録されています。そしてそれを受けて37節「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った」とありますが、ここにある「これ」というのはペトロの説教を指しています。

ではペトロの説教とはいったい内容だったのでしょうか。聖書をお持ちの方は23節からごらんください。そのほかの方はお聴きください。

「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです」。

これを語っているペトロと言えば、主イエスが十字架に殺される際に、主を裏切った人物です。そのような私(ペトロ)にさえ、主イエスは甦られて現れてくださったのだと率直な喜びとともに力強く語ったのです。そしてこの説教の結びにペトロは言いました。

「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(36)。

「イエスはキリストである」というこの世界で一番シンプルな信仰告白ですが、これは重みのある言葉です。ペトロの全存在をかけて語った言葉でもありました。そしてこのペトロの語った福音のメッセージを聞いた人びとが、今日の箇所の37節ですが、

「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ」た。というのです。実はこの箇所、荒井訳では「人びとはこれを聞いて、深く心を抉られ……」とあります。ただの心地の良い言葉ではなかった、聞き流しても良い、耳障りのいい言葉ではなかったのです。

ペトロの説教を聞いた人びとは、先日あのゴルゴタの丘で死刑に処せられたイエスのことは噂話で知っていました。何かの刑を犯したから、死刑になったのだろうというような理解だったかもしれません。しかしペトロが語るのを聞いて、事実を知ったのです。

だから弟子たちに質問してみたのです。

「わたしたちはどうしたらよいのですか」と。

するとペトロは言いました。

38節以下です。

「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。

この言葉は私たちにも、そして私たちの教会にも語りかけられています。主イエスの福音の言葉は「子供たち」にも。つまり老若男女誰にでも、そして「遠くにいるすべての人にも」。誰彼ということを問わない「すべての人」への福音なのだ、ということです。そしてイエスに従う歩みを起こしなさいとペトロは語るのです。その目に見えるしるしとして「洗礼」があるのだということです。

40節のところには、「ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた」とあるように彼は彼なりの問題意識を持って語って行きました。そしてその呼びかけに応えて洗礼を受けたものがその日だけで「三千人」あったと記されてあります。

さて、私たちは神、あるいは主イエスの福音のメッセージを聴いて、「深く心が抉られる」経験をしたことがあるでしょうか。

好地由太郎(こうち・よしたろう)という人がいました。幕末に生まれ、明治時代に生きた人です。彼が18歳の時でした。就職先の女主人を強姦し、放火して殺してしまったのです。牢獄の中でも由太郎は犯罪者たちに恐れられ、ボスのようになって囚人たちを取り仕切りました。ある時、この刑務所に一人の青年の受刑者が入って来ました。由太郎は、新参者への当然な習慣として「どんな事をしてここに来たのか」と聞きました。しかし青年は「私は何もしていません」と言うばかりでした。何もしないでここに来るはずがないと、囚人たちはこの青年を袋叩きにしました。すると青年は「私は死んでも天国に行くから良いが、あなたたちは地獄に行くからかわいそうだ」と言ったのです。騒ぎを聞きつけて看守が入って来て、青年を連れ出しました。その時、由太郎は青年の袖をつかみ「どうすれば君のような心になれるのかと」と聞きました。すると「キリスト教の聖書を読みなさい」と一言残して出ていきました。実はこの青年は路傍伝道(街頭で証しなどをして伝道する方法)をしていたところ、警察にやめるように注意されたのですが聞き従わなかったので逮捕され、間違って重犯罪者の房に入れられてしまったのでした。そのことが分かり、この青年は20分か30分の後に釈放されています。しかしその青年の言葉が気になって、由太郎は姉に頼んで聖書を差し入れてもらいました。

由太郎は死刑囚でした。後に無期懲役に減刑されたにも関わらず脱獄を繰り返し、逮捕されては刑務所に戻りました。そのような北海道の刑務所暮らしの中で、不思議な同じ夢を3度も見たといいます。それは子どもたちが現れて「若者よこの本を食せよ」と語りかけたという夢でした。しかし実は彼は文字が読めなかったために聖書に何が書いてあるのか判らなかったのです。 

由太郎は文字の勉強をして聖書を読もうと決心しました。すると囚人たちの彼に対する迫害が多くなってきました。それでも何としても聖書を読もうと勉強を続けました。誰にも邪魔されないように、独房入りを願いました。ついに3年間でほぼ新約聖書を暗記してしまいました。さらに4年間の独房生活で、旧約聖書もほぼ暗記してしまいました。彼は無期懲役に加えて、脱獄等の罪が9年までもある身でしたが、さらに減刑があり、ついに出獄の時がやってきました。1904(明治37)年のことです。彼は釈放されました。彼は釈放後、ホーリネス教会の指導者であった中田重治らと一緒になって各地を伝道して回りました。たくさんの人たちが彼の伝道によって福音を信じました。

由太郎にとって、間違って彼らの房に入れられた青年とのたった2,30分の出会いは「深く心を抉られ」る経験になりました。使徒言行録6,7章にはステファノという最初の教会の執事が出てきます。このステファノは福音のメッセージを伝えたことで殺されてしまうのですが、由太郎にとってはこの青年がステファノのように自分を殺そうとしている者のためにまで祈る(それは主イエスの十字架の際にも同じでしたが)ということが、「この人は何か違う」と感じさせたのでしょう。それはたとえ立派な言葉を語らなくても、この青年からキリストの香りを漂わせていたことから伝わったものなのでしょう。読み書きができなかった好地由太郎も彼の口からは力強い本物の体験が語られたから、多くの人がキリストに導かれたのでしょう。

私たちにもそんな経験があったはずです。一人ひとり違う方法で福音が届けられたことでしょう。その経験を土台として、洗礼を受け、信仰者として生きているのです。今朝、私たちはどのようにして福音の言葉が届けられたのかを思い起こしてみるとよいでしょう。そして私たちもまた、一人ひとりに与えられた聖霊の賜物をもって福音を伝えることができるのです。恐れることはありません。聖霊は必ず私たちを支え、それを助けてくださるからです。