ホセア書14:2-8;使徒言行録9:36-43
今日の箇所はこのような書き出しから始められます。
ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた(36)
ヤッファは港町で現在のイスラエルの政治・経済の中心であるテルアビブの南に位置します。そこにタビタという女性がいました。
「タビタ」はイエスさまが使われたアラム語で、ギリシア語では「ドルカス」といいました。ここに記されているように「かもしか」という意味です。そしてタビタについての評判が記されています。「彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた」。タビタはいろいろな人々の手助けをするだけではなく、経済的にも物心両面で支えていたようです。なかなかできることではありません。他の翻訳ではこのように書かれているものがありました。「この女は良い業と施しに満ちていて、それらを行っていた」(宮平訳)。おそらくその模範的な行いが、彼女の内側から光り輝くように満ち満ちていたのでしょう。私たちも実際に時折そういう方に巡り会う時があります。顔が、全身が輝いているような人がいます。力をもらいます。心が洗われて自分の襟を糺すことにつながります。タビタはそういう人だったのです。
けれどもある時彼女は病に侵されました。自分の健康のことなどを顧みないで、報いを望まず人に与えることに没頭しているような人だったかもしれません。彼女はほどなくして亡くなりました。彼女は多くの人の尊敬を得ていたことでしょう。「人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した」(37)、皆は丁重に、丁重にして彼女の亡骸を取り扱ったのです。
リダというところは、ヤッファよりも少し内陸に入ります。16キロほど離れていたようです。聖書の地図でご確認いただけるとよいのですが、少し南に行くとエマオになります。リダには使徒ペトロが滞在していました。ちょうど今日の箇所の前の9章32節以下ではこのリダの地で、中風(体が麻痺した状態)で8年間も伏していたアイネアという人を癒しています。そこに弟子たちは2人の人を遣わして「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ(38)とあります。
39節にはこうあります。
ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
「やもめたちは皆」とあります。すべてのやもめ(夫を亡くした人、未亡人)たちはペトロの到着を待っていました。そして生前のタビタから施してもらった物を見せました。当時の男性中心の社会の中で、夫を病気や事故で亡くした家族の苦しみは計り知れません。タビタは社会の中で小さく、弱くされた女性たちを、懸命に世話していたことがここからわかります。39節は彼女のことを「タビタ」とは書いていません。ギリシア語の「ドルカス」と記されます。聖書の中にはかもしかが何か所にも出てきます。特に旧約聖書の雅歌では「恋しい人」、あるいは俊敏な人をかもしかになぞらえています。おそらくタビタもそのような女性だったのでしょう。
さて、タビタの亡骸に対面したペトロは人々を外に出して、2人だけになりました。そしてひざまずいて神さまに祈り、タビタが甦るようにと願いました。そしてこう言いました。
「タビタ、起きなさい」。
かつて生前のイエスさまは亡くなった少女に「起きなさい」(マルコ5:41)と言われました。またナインに住むやもめの一人息子を生き返らせた時(ルカ7:14)にも、また会堂長ヤイロの娘が亡くなった際(ルカ8:54)にも、「起きなさい」と仰せになっておられます。
イエスさまの一番弟子のペトロも同じ言葉を使ったのでしょう。先ほど申し上げたリダのアイネアを癒した際にもやはり「起きなさい」と癒しを宣言しています。ペトロがイエスさまを通して神さまの力が実現するようにと願ったのです。
ペトロが祈り終えると、タビタは目を開き、ペトロを見て起き上がりました。ペトロはタビタに手を差し伸べて、彼女は立ち上がることができました。
そして、その場に「聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた」(41)とあります。「聖なる者たち」とは、イエスに従う歩みを起こした者たち、すなわち信者たちのことです。かつてフィリポがヤッファに宣教したのです。そこで得た初穂の信者たちです。そしてやもめたち、タビタはいつもこのやもめたちの必要を満たしていました。今度はペトロによって神の力が顕されて、やもめたちが必要としていたタビタを返すことができたのでした。すべて神のご計画です。ペトロが近隣のリダにいて、ヤッファに遣わされたのも神の御計らいでした。
42節はこう伝えます。
このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
瞬く間にタビタが甦ったことは町中に知れ渡りました。そして多くのものがイエスさまを主と信じ、歩みを起こし始めました。しかし驚くような奇跡を通して、すなわち「しるし」が行われて多くの人びとが主を信じたならば、それは目先のことに捉われた「ご利益信仰」です。何かマジックショーのようなことを行って初代のクリスチャンたちは宣教していたのでしょうか。
今日の箇所はこのように結びます。43節です。「ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した」。
皮なめし職人とは、動物を殺し、そこから革製品を作り、その過程で死体に触れることから、当時のユダヤでは汚れた職業と見なされていました。わが国日本でも皮革業の人たちは同様にして、いわれのない差別を受けてきた歴史がありました。あってはならないことです。けれどもペトロは、シモンというその皮なめし職人の家に「しばらくの間」滞在したとこの箇所は結ばれています。
ここから私たちが分かることは最初期のクリスチャンたち、ペトロのような伝道者だけでなく、ドルカスと呼ばれたタビタのような一介の弟子まで、社会の中で差別され、抑圧を受けている人々に心を開き、共に生きようとしたということが示されています。またクリスチャンたちはいつも、いつでも弱者と共にあるというのは、イエスの眼差しを体現していった弟子たち、信者たちに受け継がれ、大切にされたことが使徒言行録を通して伝えられています。
イエスさまはある時、こう仰せになりました。
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:16)
私たち一人一人はイエスさまという光をいただいています。
その光を消してしまうことなく、私たちはさまざまな人たちに神さまからの愛を行い、伝えていくものでありたいと思います。
7月14日のインターナショナルサンデー礼拝に来てくださる横山由利亜さんもウクライナからの避難者への奉仕を通して、ドルカスのようなお働きを続けておられます。私たちもイエスさまの光をいただいたものとして、普段の生活の場においてドルカスのような存在になりたいものです。
使徒言行録にはたった1か所だけイエスさまの言葉が、しかも福音書に記されていない言葉があります。パウロの説教の中で語られているものですが、20章35節(聖書新共同訳255ページ)です。今朝この言葉を心に刻みたいと思います。
あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」