「キリストの名によって」使徒3:1-10 中村吉基

サムエル記下5:1-9;使徒言行録3:1-10

今日の箇所に出てくる「足の不自由な男」は人びとの手を借りて、エルサレムの神殿の一つの入り口である「美しい門」の側に来る日も来る日も、ここを行き交いする人びとに施しを乞うていた、と伝えられています。

ここにペトロとヨハネがやってきます。おそらく彼らはいつもこの祈りの時にここを通っていたのでしょう。彼らが男にこう言います。

「わたしたちを見なさい」(4節)。

その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロがこう言いました。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)。

聖霊を受けた使徒たちがいきいきと生かされていたことが垣間見えるような表現です。彼らは主イエスが生前になさったとおりに、さまざまなしょうがいを負って生きていた人たちに心を開いて接しています。

「施し」はユダヤ教の信仰でも奨励されていることでした。ですから今日の箇所に出てくる男だけでなく、大勢の恵まれない人びとが集まっていたことでしょう。この男はこの後の4章42節によれば「40歳を過ぎていた」とあります。しかし、現代の40代とはだいぶ境遇が違います。そして、今日の箇所で気にかかるのは2節の、

「生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである」。

この男は一人で歩くことができない。だから誰かに運んでもらって、「門のそばに置いてもらっていた」。私にはどうも気にかかります。(人を)「運ぶ」とか「置く」という動詞です。何か「モノ」が運ばれてくるかのようです。そしてこの人だけでなく、多くの施しを乞う人は「門のそば」にいて、決して門の奥に入れたわけではない、ということです。もしかしたらこの人が、母の胎を出たその時から足が不自由だというハンディキャップだけに苦しんでいたのではない。この門から奥の神殿には行くことができないという境遇にも苦しんでいたのではないかと感じます。実際にしょうがいを負っている、そしてこの時、40歳を過ぎているということは当時の平均寿命からすれば、かなりの高齢ということになります。しょうがいを負っているため、仕事に就けないでいる。それ以上にこの人を苦しめたことがあります。それは当時のユダヤ社会に根付いていた「因果応報」的な思想です。つまり、先祖の誰かが悪いことをしたから彼はしょうがいを負う身になってしまったという考えに信じる人々の好奇の目に晒されていたのです。

「美しい門」というのは、現在では神殿のどこにあった門なのかということがはっきりわかっておりません。岩波版の聖書には、エルサレムの神殿の再構成図が載っていますが、何重にも壁で覆われた極めて外側にあったようです。いずれにしても門は門です。その中には入れなかったのです。もしもこれが私たちの教会であったらどうでしょう。「しょうがいを負っている人は、門のところで物乞いをしてください。そうすれば礼拝に来る行きと帰りに心優しい教会員の人が施してくれるかもしれません……」。もしこんなことが実際に行われていたら、私たちの教会はキリストの教会ではなくなってしまうでしょう。しかし、実際にユダヤ社会でごく当たり前のように行われていたことでした。

さて、この「美しい門」前に、「運ばれ」「置いてもらっていた」「足の不自由な男」はここで劇的な出遇いをします。ペトロとヨハネに遇うわけですが、3節以下にはこう記されています。

「彼は、ペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると……」。

この人は施しをしてもらうことだけを考えていました。それ以上のことは何も予想していませんでした。ペトロとヨハネは彼をじっと見つめます。このじっと見つめられた時にも男は何か施してもらえることを期待していたはずです。私たちも「じっと見つめる」ことがあります。どんな時でしょうか。集中して、注意深く、目を凝らして(凝視して)、何かを(あるいは誰かを)観察するときでしょうか。またあるいは何か初めて見るようなものに対してこうするでしょうか。使徒たちが「じっと見て」いたのには理由がありました。その瞬間彼らに神の力が宿ったからです。神の眼が使徒たちの眼を通して、この男を見つめたのです。

するとペトロが言いました。6節です。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。

この人はがっかりしたかもしれません。彼が欲しかったのは「金や銀」のほうでした。けれどもこの目の前にいる2人の男は、金や銀ではなく、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい、と言ったからです。彼は落胆したかもしれません。目に見えるモノのほうが良かったからです。

しかし、使徒たちは「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言ったのです。このイエス・キリストのお名前、私たちはいつもこのキリストのみ名によって祈りをささげています。この「キリストの名」は今週と来週の礼拝におけるキーワードです。キリストの名は神の名と同等のことを示します。先ほど、使徒たちが男を「じっと見つめた」時に神の力が宿ったと申しましたが、この神の力が今度はこの足の不自由な男に宿りました。7節以降にはこう記されてあります。

「そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。」

私たちは考えてみる必要があります。ここでもし、ペトロとヨハネが「金や銀」をこの人に施していたならばどうだったのか、おそらくその施しの度合いによって、何かしらこの人の生活を潤せたことでしょう。しかしそれは「当面の潤い」であって、また無一文になれば、この美しい門の前に「運ばれ」「置いてもらって」施しを乞う生活の繰り返しになっていたことでしょう。けれども使徒たちはこの人に永遠の救いを約束したのです。それが「イエス・キリストの名によって」与えられる救いでした。この人はただ足が癒されただけではありませんでした。もしも表面的に足が癒されただけならば、もう高齢の身ですから、また他の体の不調が出てくるかもしれません。この時、何かの仕事に就けたわけでもないのです。この人の当面のことが良くなったのではないのです。

「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」とはインマヌエル、神があなたと共にいますよ、という宣言でした。そのことによってこの足の不自由だった男は神の力によって癒され、自分の足で立ち上がって、歩き始めたのです。彼は門前に「運ばれ」「置いてもらっていた」人とは別人のようになり、なんとペトロやヨハネたちと共に神殿に入って行ったのです。40歳を過ぎて初めて自分の足で立ち、自分の足で歩いた瞬間でした。

そして使徒言行録の記者はこの人のしたことを見逃すことなくきちんと描いています。それは「神を賛美し」た(8)ということです。民衆もこの人が神を賛美しているのを目撃しています(9)。これはこの人に起こった、「キリストの名によって」行われた奇跡がすべて神の業であることを証ししています。

今日の箇所は私たちに教えていることは何でしょうか。

それは「金や銀」だけがすべてを解決するものではない、ということです。もちろん物質的な援助をすることも大切なことではあります。しかしそれですべてではない、ということを私たちは改めて知らなくてはなりません。ペトロとヨハネが「金や銀はない」と言いました。本当に持っていなかったのでしょう。私たちの教会にも「金や銀」はありません。しかし、ここにくればイエス・キリストを信じ、模範として生きている人たちがいます。それだけで十分ではないでしょうか。

金や銀ですべてが解決できると思っている人には、神の力が宿ることはありません。限界があります。私たちが、そして私たちの教会がなすべきことは「キリストの名」を人びとに与えることです。ペトロやヨハネは「自分の名」でこの男を癒しませんでした。いつも彼らは聖霊を受けて、神、主イエスと共に歩んでいたからです。この現代においてもキリストの名を与えられた人たちは、自分の足で立ち上がり、歩いて行くようになるのです。私たち一人一人も、そして私たちの教会もそれと同じわざを今日も行っていくのです。