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三位一体後第20主日礼拝

三位一体後第20主日礼拝

三位一体後第20主日礼拝  10:30

  司会・説教  陶山義雄
  奏      楽  鈴木伶子

前    奏  (黙祷)
招    詞  (コリント二 5,17)
讃 美 歌  571「いつわりの世に」
交 読 文  詩編126編(讃美歌後ろからp.143)
旧約聖書  エレミヤ書31,31-34 (旧p.1237)
新約聖書  ルカによる福音書15,11-32 (新p.139)
祈    祷
説    教  「死んでいたのに生き返り」
祈    祷
讃 美 歌  451「くすしきみ恵み」
献    金
主 の 祈  93-5
頌    栄  26「グロリア、グロリア、グロリア」
祝    祷
後    奏
			

 

 

本日礼拝後

  • 代々木上原教会9条の会 礼拝後、会議室A。「アベノミクスの経済学について」(岡本磐男)

 

今週の集会

  • 祈り会 10月16日(水)10:30−11:30会議室A。村上牧師の「箴言」講話(テープ)を聴いて共に祈ります。

 

次週(10月20日)予告

  • 教会学校 9:00〜 「最もたいせつなこと」 (マタイ22,37) 松原新吾

 

今後の礼拝・集会予定

  • 10月27日 宗教改革記念日・音楽礼拝
  • 11月3日 陶山義雄牧師の説教
  • 11月10日 召天者記念礼拝

 

牧師室から「涙と共に種を蒔く人は」

 収穫の季節を迎えると、詩編126編5-6節が心に響いてくるのを覚えます。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」

 今の私たちは農耕に直接携わっていないので、種蒔きの辛苦や収穫の喜びを直接、体験するような生活環境にはいないかもしれません。それでも、この歌人と心を通わせることができるのではないでしょうか。私たちの食卓にのぼる米や野菜などは誰かが種を蒔き、汗水流して働いた成果によるものであれば、感謝と喜びに私たちも与ることが許される筈です。126編の歌人は結びの所では、種蒔きの労苦と収穫の喜びを歌っておりますが、それ以前の4節までの所では、先祖が味わった捕囚(前587〜539年)の涙と解放の喜びを想起しながら(1-2節)、いま歌人が置かれている苦境が贖われることを祈っています(3-4節)。種蒔きの辛苦と収穫の喜びは比喩であって、苦界が乗り越えられるように祈り求める人ならば、喜びの時を待ち望みつつ、辛苦に耐え、神と人への信頼を寄せながら今を生き抜いている筈です。

 この歌は聖書の言葉だけでも心に残る名句ですが、唄われることによって更に良く受け継がれてきたように思います。『讃美歌21』158番は126編を4節に分けて歌い上げ、その第4節目では「涙とともに、種蒔く人、ゆたかに実る刈り入れの日に よろこびの歌 さずけられる」と結ばれています。また、ハインリッヒ・シュッツ(1585〜1672)は「涙と共に種を蒔く人は」について2曲、残しています。一つはダビデの詩編歌集の第42番(1626年)と宗教合唱曲集第378番(1648年)です。ことに書き改めた後者は30年戦争(1618~48)でドイツの全人口の三分の一を失くし、荒廃した台地の中で、シュッツは「喜んで〜mit Freuden」を結びで何回も高らかに謳い上げて、残れる民を鼓舞したのです。聴く私たちに深い感動と慰めを今なお与え続けてくれる作品です。(陶山義雄)