三位一体後第21主日礼拝
三位一体後第21主日礼拝 10:30 司会・説教 廣石 望 奏 楽 森 友紀 前 奏 (黙祷) 招 詞 (マタイ11,28) 讃 美 歌 17「聖なる主の美しさと」 交 読 文 詩編121編 (「交読文」p.34) 旧約聖書 レビ記19,1-18 (旧p.191) 新約聖書 マタイによる福音書5,43-48 (新p.8) 祈 祷 説 教 「敵を愛せよ」 祈 祷 讃 美 歌 530「主よ、こころみ」 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 29「天のみ民も」 祝 祷 後 奏
- 教会学校 9:00〜 「最もたいせつなこと」 (マタイ22,37) 松原新吾
本日礼拝後
- 青年会 なし
- ガリラヤ会 「原発事故後の日本を生きるということ」(西田和子)、礼拝後に会議室A
- 壮年会 「メキシコ体験談」(熊本行男)、礼拝後に会議室B
今週の集会
- 祈り会 10月23日(水)10:30−11:30会議室A。村上牧師の「箴言」講話(テープ)を聴いて共に祈ります。
次週(10月27日)予告
- 三位一体後第22主日礼拝(宗教改革記念日・音楽礼拝) 10:30〜
聖書:ローマの信徒への手紙3,21-26
説教:「信じる者を義とする」 廣石 望
- 教会学校 9:00〜 「最もたいせつなこと」 (マタイ22,39) 中村今日子
今後の礼拝・集会予定
- 10月27日 11月定期役員会(前倒し)
- 11月3日 陶山義雄牧師の説教
- 11月10日 召天者記念礼拝
牧師室から
ユネスコが1986年に発表した「暴力についてのセビリア声明」は、人間が「生物としてのヒトの本性によって戦争と暴力を運命づけられているわけではない」と言う(山岡剛『希望の平和学』より)。
この結論を計5つのテーゼが支えている。ほぼ以下のような内容だ。(1)戦争は人間の動物学的必然でなく、変更可能な文化である。(2)遺伝でない文化現象としての戦争に、人は責任を負う。(3)進化のプロセスでの生存競争に生き残るのは暴力的な個体でなく、上手に協力するものである。(4)脳は生来的に暴力的なのではない。暴力にも、あるいは協力にも用いることができる。(5)戦争は人間の本能でない。むしろ政治や教育やメディアによって、人は戦争へと訓練される。
――なるほど戦争は人間が生みだすものであり、原理的には回避可能であるはずだ。
ただ、キリスト教から見るとき、戦争は「文化」というより、むしろ「罪」であろう。人は罪の責任を免れない一方で、罪の支配力はあまりに巨大かつ普遍的だ。
「罪の赦し」の福音こそが、「平和の文化」を育てるときの基礎になるのではなかろうか。(廣石望)