三位一体後第15主日礼拝
2008年8月31日
三位一体後第15主日礼拝 10:30 司会・説教 廣石 望 奏 楽 西田和子 前 奏 招 詞 (ガラテヤ3,28) 讃 美 歌 20 交 読 文 詩84編 (当教会交読文集p.25) 旧約 聖書 創世記17,1-14(p.21) 新約 聖書 ガラテヤの信徒への手紙5,1-15(p.349) 祈 祷 説 教 「自由へと召し出す」 祈 祷 讃 美 歌 345 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 24 祝 祷 後 奏
報 告 (ご高齢の方、お疲れの方は、讃美歌を歌う際、着席のままで結構です)
教会学校
- 9:00 お話 「ベトサイダで盲人をいやす」 (マルコ8,22-26) 田中綾乃
本日礼拝後
- 教会カンファレンス準備委員会
今週の集会
- 祈り会 今週から再開します。9月3日(水)10:30〜 会議室A。詩編18編を学び共に祈ります。
次週(9月7日)予告
- 教会学校 9:00 お話 「イエスの姿が変わる」 (マルコ9,2-13) 村上典子
- 三位一体後第16主日礼拝 10:30 説教「確信を捨てない」(ヘブライ10,35-39) 村上牧師
- 讃美歌練習 礼拝後(会堂)
- 定期役員会 讃美歌練習後(会議室A)
報告
- 9月の教会活動 例年通り9月からすべての教会活動を再開します。
- 村上牧師の牧師館滞在予定
- 3日(水)午前〜4日(木)午前
- 6日(土)午後〜7日(日)午後
牧師室から
今では、いわゆるグローバリゼイションのせいで、資本や情報ばかりか人間も、国境や文化の境を超えてどんどん動きます。同じ町で異文化・異宗教の人たちが暮すのは日常風景です。電車の中で外国人の親子を見ると、自分の留学時代を思い出して親しみを覚えます。そんな時代に、「唯一なる神」を信じるというユダヤ・キリスト教の伝統は「とかく争いの元だ」という批判も聞きます。
ふり返れば、日本では国家神道が解体され、都市化や核家族化が進む中で、しだいに「宗教」が公共社会のマストアイテムでなくなりました。政教分離の原則は、もとは国家権力から個人の信教の自由を守ることが目的でした。しかし今では、法にふれないかぎり誰が何を信じてもかまわないというふうになりました。つまり「選択の自由」という市場原則にもとづいて「何でもあり」ということになったのです。日本の諸宗教団体に登録された人の総数は、総人口より多いと聞きますし、霊感商法やカルト宗教などの問題もあります。こうして非宗教化した(はずの)社会で、自分化や異文化に由来する複数の宗教が並存しているのが現状です。
すべてが市場原理に支配される社会では、キリスト教が大切にしてきた「愛」も、急速に「モノ化」してゆきます。日本語には、男性が女性を「ものにする」という慣用表現があります。最近は若い女性が「彼氏をゲットする」と言っても、おそらくさほど違和感はありません。さらに、生きている人間をモノ扱いすることを超えて、愛そのものがモノと化す傾向があります。あるカウンセラーの報告によれば、自分の恋人(たち)を名前で呼ばず、その人(たち)から送られたプレゼントのブランド名で呼ぶ女性たちがいるそうです。どうやら照れているだけではなさそうです。その場合、愛の対象は人でなくモノです。モノそれ自体が愛(!)なのです。
こうして「唯一なる神」の忘却は、自由市場化した社会にあって、神々の再来、人心操作、あるいは愛のモノ化をもたらしたように見えます。キリスト教信仰は、どのようにして「神」あるいは「愛」といった言葉を国家や市場による濫用から守り、エゴイズムでも誘導でもない仕方で、神と共に生きるすべを提示できるでしょうか?(廣石望)。