平和一覧

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「神の言」列王記上22:6−17 中村吉基

北イスラエルの7代目の王アハブは400人もの預言者を集めてラモト・ギレアドをアラムから奪還する戦いをするかを尋ねる。しかしアハブには攻める気しかなく、そこにいた預言者たちも忖度してアハブの喜ぶ言葉を伝える。神の言ではなく人の言である。協力を依頼されたヨシャファト王は他に預言者がいないか尋ねる。そして「いつも災いばかり預言する」ミカヤが呼ばれる。使いのものに言い含められたミカヤは他の預言者と同じようなことを言うが、その後戦争に負け、死を迎えるということ伝える。「神の言」に聴くということは積極的に厳しい言葉にも耳を傾けなければならない。今、世界の指導者を見るときにも「強さ」を前面に掲げて力のない人たちを切り捨てていく現実がある。「平和を実現する」営みとは、神の言に真摯に聴いて、神の時に、神の世界に飛び込むことである。アハブ王が願った「人の言葉」ではなく、「神の言」に従っていきたい。

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「主が来られる」イザヤ52:1-10 中村吉基

今日から待降節、クランツのろうそくの1本目に火がともされた。クランツのろうそくにはそれぞれ意味があり、今日は「預言のろうそく」、「希望」を表している。キリストは旧約聖書に記されている預言の成就としてお生まれになった。2本目以降も「平和「喜び」「愛」を表しており、人間の姿となってきてくださったイエス・キリストからもたらされる。しかし今日の箇所のころは、希望というより絶望の中で大国バビロニアに捕囚され苦難の時期である。しかし解放が迫っている、神は人を見捨てることはない。ヘンデルの歌にもなったこの箇所は、神が人々のために動かれる希望の到来である。これは古のイスラエルだけではなく現代の私たち一人一人の無気力や絶望の深みから救い出してくださる。私たちは、その神の救いを伝え続ける共同体でありたい。

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「異なるものが互いに愛し合って一つになる」 ローマ5:1-5 ジェフリー・メンセンディーク

ペンテコステは聖霊によって私たちの心に愛が注がれた日であり、神様に愛されているがゆえに私たちは聖霊の勢いに押し出され歩みへと招かれる。キリスト教の名のもとにヘイトや偽り、暴力、排他主義、絶対主義が横行しているが、聖書の教える神様の愛に反している。今日の箇所にある4つの言葉平和、恵み、忍耐、聖霊を中心にみていきたい。1つ目は神様との間にある「平和」、命の尊さやその人らしさが神様の創造によるであり、尊厳性の根拠である。2つ目の「恵み」。咎のある人間であるが、それでも神は私たちをご自分との関係に招き入れられ、「神の栄光にあずかる希望」に向かって歩ませてくださる。3つ目は「忍耐」、ある時「異なるものが互いに愛し合って一つになる」と書いてある墓石を見た。この言葉ほど神様の愛の方向性を言い当てているものはない。人間の多様な考え方の違いを超えて「一つになる」。「異なる者」を理解し、また「異なる者」に理解される営みという「苦難」。パウロはよく知っていたし、キリスト者に伝えている。神様の平和と恵みによって忍耐する力を神は用意してくださっていて、それは神様の恵みに対する私たちの応答であり、忍耐の先には希望がある。その助け手が聖霊である。