フィリポ一覧

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「最初の弟子たち」ヨハネ1:35−52 中村吉基

洗礼者ヨハネが「神の子羊」と言うこの方どんな方か、2人の弟子が主イエスを追う。するとイエスが振り返って「何を求めているのか」と尋ねる。そしてそのまま2人は、ほとんど面識のないイエスに従ってきた。次はペトロである。後に弟子たちのリーダー、教会の指導者となるが、彼の兄弟アンデレから「わたしたちはメシアに出会った」ときき、イエスのもとに馳せ参じた。その翌日はフィリポとナタナエルである。まず「わたしに従いなさい」とフィリポが招かれ「モーセが律法に記し、預言者たちも書いてある方に出会った」とナタナエルに伝える。聖書をよく知っているナタナエルは「ナザレか。ら何か良いものが出るだろうか」と答えるが、イエスと会い「あなたは神の子です」と告白する。今日の箇所だけではないが聖書の物語だけでは人々が主イエスにあった時の輝きやその言葉の力強さは伝わりにくい。私たちは「知らないもの」に対して恐怖を覚えるが主との出会うことによってそれはそれぞれの中で平安な出来事に変えられていくのである。

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「福音を告げ知らせながら」使徒8:1-8 中村吉基

今日の箇所にはサウロとフィリポという2人がでてくる。サウロはキリスト者を迫害しているユダヤ教の指導者、フィリポは選ばれた7人の執事のうちのひとりである。サウロは後のパウロ、彼の話は、誰でもする失敗、または悪事をしても自分のもとに悔い改めて戻ってきた者に力を与えるという神の力を証しである。一方サマリアでは迫害から命からがら逃げたフィリポが困難な状況下で生きていたサマリア人に福音宣教をしていた。ユダヤ人から忌み嫌われていた地で貧しくされ福音の教えを必要としている人びとがたくさんいたのである。ステファノの死を乗り越えて、自身も迫害されながら、福音を宣べ伝える事ができたのか?それは信仰の力であり、現代社会を生きているすべてのキリスト者が目指すべき姿である。社会の片隅で心が擦り切れそうになっている人たちに寄り添いなさいという神の促しなのである。