ガラテヤの信徒への手紙一覧

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「聖霊によって歩む」2024/04/28 中村吉基

「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」と今日の箇所は始まる。創世記で神は人間に自由に生きる道を与えて下さったが、それは好き勝手に生きるということではない。パウロは今日の箇所で「霊(聖霊)に導かれて生きることこそが自由に生きることなのだ」と言う。彼は律法は「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって実現すると信じていた。愛するというのも「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして」私たちの目の前にいる相手を愛するということである。しかし「互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」とも書かれている。そのようにならないように肉の欲望ではなく霊の導きに従って歩みなさいとパウロは言う。肉の望むところは霊に反し、霊の望むところは肉に反するのである。私たちも欲望が尽きることがなく絶えず苦しみを受けるが、パウロは「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです」と宣言し「霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう」と今日の箇所を結ぶ。聖霊の美徳によって生きるということである。神は人間に自由意志を与えたのは、善に用いるように生かしてくださっているのである。

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「教会を信じる」ガラテヤ3:26-29 中村吉基

神は私達に使命を与えていらっしゃる、私達は神の世界の出演者である。ともすると自分の欠点ばかりに目がいくが、それは何の得にもならないし神への冒涜でもある。今日の聖書の箇所でパウロは、あなたがたは「キリスト・イエスに結ばれて神の子」であると書いている。つまり、神と結ばれて生きるものとなったという証である。またキリストを着ている者に差はないとも書く。民族も身分も性別も、そしてその属性にかかる差別や役割もないとしている。パトリック・チェンはそれをラディカル・ラブと呼んでいる。教会において、多様な人も受け入れる所であるはずが、排除や差別もある。キリストにおいて皆一つであることを原点として教会を作り上げていきたい。