Shimako F一覧

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「復活への希望」使徒24:10-21 中村吉基

パウロがエルサレムで逮捕されローマに護送された先で最高法院の代表である大祭司アナニアがその側近に対して弁明する。その前にいたテサロニケでパウロは多くのギリシア人たちを信仰へと導きそれを妬んだユダヤ人が暴動をおこし大騒動となった。またその前のエフェソ等のアジアでも多くの信徒を獲得しているため嫉妬されてる。しかし彼がエルサレムでしていたことは神を礼拝することだけ。パウロは「ナザレ人の分派」と呼ばれ異端とされていたことを「この道」と言い換え、それに従って礼拝し何ら神さまの御心に反するものではない。そして「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」と続ける。ファリサイ派の人たちは正しい者だけが復活すると信じていたようであるが、イエスさまは「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ」、つまりすべての人が復活すると約束している。「私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています」と言う。パウロは復活のキリストにあって回心した人物である。ローマの信徒への手紙10章にもあるように「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」と書いている。復活のイエスさまと私たちが、神と私たちがしっかりとつながっていることを示している。私たちは天にある方々と繋がっている。復活の主を仰いで光の中を歩んでいこう。

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「起きなさい」使徒9:36-43 中村吉基

ヤッファという港町にタビタ(ギリシャ語でドルカス、カモシカの意)と呼ばれる女性がいた。たくさんの善い行いや施しをしていた女性だったが、病に侵され亡くなった。近くのリダという町にいたペトロがおり、そこに2人の使者がタビタの亡骸に来るように依頼する。丁寧に安置されたタビタの前には多くのやもめがおり、ペトロに生前のタビタから施してもらった物を見せた。ペトロタビタと対面し神に祈り、「タビタ、起きなさい」と言う。生前のイエスがおっしゃったと同じである。ペトロがイエスさまを通して神さまの力が実現するようにと願ったのである。タビタは目を開き立ち上がることができた。周りの人は驚き多くの人が主を信じた。初期のクリスチャンはこのように奇跡をマジックショーのようにして宣教していたのだろうか?今日の結びでペトロは皮なめし職人のところに滞在したとある。当時のユダヤでは汚れた見なされていた職業である。タビタに集まってきたやもめも当時の差別されてきた人々であり、初期クリスチャンたちは彼らと共にあった。私たちはイエスさまという光をいただいている。今朝は特にパウロのこの言葉を心に刻みたい。「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

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「キリストはわたしたちの平和」エフェソ2:11-22 中村吉基

エフェソの教会ではユダヤ人のクリスチャンに加え「異邦人」が増え、問題がおこっていた。ユダヤ人は神さまに救われる聖なる民族で律法を与えられた人々であり、異邦人は汚れた人々という思い込みがあり、両者はうまくいかない。そこにパウロは「以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者」となり「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄され」た。「キリストはわたしたちの平和であります」と続ける。平和のキリストは人と人との間に線引きされた垣根を壊される。イエス・キリストというお方が来られたことによって旧約の律法は廃棄され意味のないものになったが、エフェソの教会の人々にはなお「敵意」があった。敵意がある限り、隔ての壁は無くならないし壊れない。その教会にパウロは、あなたがたは外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であると説く。今の日本でも外国人を排除するようなことが起きている。「実に、キリストはわたしたちの平和であります」という今日の聖書の言葉を心に刻み、祈りを捧げ行動していこう。

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特別説教:「光は暗闇の中で輝いている」

インターナショナルサンデー礼拝のお知らせ 代々木上原教会では、毎年この時期にインターナショナルサンデー礼拝として、外国人の人権のために祈る礼拝をおこなっています。今年は、日本YMCA同盟に所属し、数年前からウクライナ支援に従事してい...