Shimako F一覧

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「あなたがたは神の家族です」エフェソ2:14-22 宮島牧人(原町田教会)

牛久に赴任になったのを機に通い始めた入管収容所。そこに収容されている人は、命の危険があるため国に帰ることもできず、難民申請をしているが認められず不法滞在者として収容される。しかも近年ますます厳しくなってきている。彼らを入管職員を犯罪者のように扱うが彼らは書類不備なだけで犯罪者ではない。しかも収容期間に終わりはない。そんな生活の中で収容者の絶望は深い。また通っていても無力さを感じずにはおれない。悪い結果が待っていても、仲間やみ言葉に励まされて、こんなに小さなわたしであっても神はまだ用いてくださると思うことができる。19節「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」。すべての教会は自分の国に来ている外国人に向かってこの19節を福音として伝える。「教会にどうぞ来てくださいあなたたちも神から生まれた神の子ども、神の家族だからです。」

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聖霊降臨節第8主日礼拝 2022/7/24

インターナショナルサンデー―—外国人の人権のために祈り、民族主義と平和を考える 本日の礼拝 旧約聖書:レビ記19:34新約聖書:エフェソの信徒への手紙2:14-22説 教:「あなたがたは神の家族です」宮島牧人(日本キリスト...

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「たった一つ、あったら良い」ルカ10:38~42中村吉基

今日はマルタとマリアの話である。教会生活が長いとどちらのタイプなどと話題になる。今日のマルタから省みなければならないのは、自分のしていることがうまくいかない時に他人にあたるような態度をにじみでてしまっているのではないか。また多くのことに思い悩んでしまっているのではないか。マリアが選んだ「良い方」とは「神の国をもとめること」である。つまり、主イエスが示してくださった愛が、自分の利益のためだけに使われることは本望ではありません。私たちは他者のために愛し、他者のために奉仕することである。しかし私たちは本当に弱さを抱えていますから、マルタのように忙しくなってしまったり、余裕がないときには、神のことをすっかり忘れてしまう。しかし忙しい中でその中で、どのように神を敬い、神との時間が取り「神の愛の伝達者」として私たちが行動する全てのところに主イエスのみ言葉の種まきが出来るようにしていきたい。

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「私の隣人とは?」ルカ10:25-37 中村吉基

イエスが宣教していたガリラヤは貧しい地方であった。懸命に開墾しても税金がとられ破綻してしまう。イエスは社会の中で差別された人々と交流し、どんな人であっても「神に愛されている人」とした。それはガリラヤという辺境に生き、人間扱いされてこなかった人々に、主イエスの教えはまさに「よいニュース」であった。 今日の譬えのサマリア人は、当時のユダヤ人からすれば決して「隣人」の範疇には入らない。しかし、このサマリア人は祭司やレビ人が通り過ぎる中、傷ついた旅人を介抱し宿屋につれていって費用まで払った。私たちも、このサマリア人のように、その人の痛みと自分の痛みとして、すべての人を隣人として寄り添うものでありたい