Shimako F一覧

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「悔い改めから和解へ」マタイ5:1-12 中村吉基

今日は平和を祈り求める平和聖日礼拝。第2次世界大戦から約20年後に表明された戦責告白は教会が戦争に協力した反省から表明された。山上の説教には「平和を実現する者」とあるが、それは単に戦争に反対することではなく暴力と差別を許さない生き方である。今も分断、排外主義、民族差別があり、難民を拒み、他国に対して敵意をあおるような政治の動きがあるが、我々は「和解の務めを担う者」として声を上げているだろうか?和解とは相手を許すだけではなく、自らが傷つけた側であることを認め、ゆるしを請うことから始まる。山上の説教には「柔和な人々」「義に飢え乾く人々」「憐れみ深い人々」になれとある。信仰によって立ち、祈り、語り、行動する者となることが神の子と呼ばれる者の生き方である。

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「神に栄光あれ」ヨハネ16:31-33 山本光一

この日はインターナショナルサンデーとして、外国人の人権のために祈る礼拝をささげました。パレスチナ・ガザ地区にあるキリスト教の病院「アハリー・アラブ病院を支える会」より山本光一牧師(旭川六条教会)をお招きし、パレスチナの現状についてお話しいただきました。

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「なぜ、祈るのか」テモテI 2:1-6 中村吉基

教会では「執り成しの祈り」が伝統的に行われており他者のために教会が代わって祈ることが大切とされている。今日はパウロが若いテモテに語る勧める箇所である。すべての人たのために、高い地位の人々のために祈ることで平和があるように、とりなしと感謝をささげるようにと説く。この時代の政治家は原始キリスト教会をを迫害する存在である。今でも自分の考えの違う為政者のために祈るのは難しい。しかしパウロはすべての人々が救われて真理を知るようになることを神は望んでいるという。つまり祈りは神の御心と世界をつなぐ窓の役割を果たしているのである。