Shimako F一覧

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「善が悪と呼ばれるとき」マルコ3:20-27 中村吉基

休む間もなく人のために働くイエスを見て気が変になっているという人々、そしてその噂を信じる親族、そして悪魔の力を使っているという律法学者たち。イエスは「悪魔が悪魔を追い払うのはおかしいのではないか?」と答え、続いて「強盗」のたとえを用いる。強盗とは人間をしばる悪魔の力である。私達は自分を強者と理解しているがそれは罪の始まりである。実際は土のちりを集めてできたものである。しかしキリストの復活によってそこから打ち破られた。神の国は始まっていて、私達はそこに生かされている。

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「わが名はレギオン」マルコ5:1-27 廣石望

ゲラサの悪魔憑きの箇所である。ここはイエスの死後におきた戦いにおけるローマの軍隊を想起させ、豚にのって滅びた悪霊はローマ軍を、そして悪霊のように蹂躙してきた戦争によるトラウマを象徴しているように見える。そしてその後の憑かれていた者による宣教を開始は和解の福音として伝えたのではないだろうか。その際自分がレギオンに占有されていたことを隠さなかっただろう。私達も正当性を主張する前に自分の弱さを自覚し、分断のかわりに和解を発信したい

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「おいでください」ルカ14:15-2廣石 望

聖書の時代、食事は食事式つまり社会的な義務を果たすと同時に自己演出を行うものであった。しかし今日の箇所でイエスが譬えた食事に招く代理客は当時としては考えられない、見返りを求めない人達であった。しかし神の招待にお返しができる人などいない。我々の共同体も今まで仲間ではなかったものになっていきたい

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「幸せよりも真実を」マルコ2:1-12 中村吉基

中風の男をイエスになおしてもらうために天井をやぶって寝台ごとイエスの前につるすという驚くべき行動に対して、イエスは罪を赦すと宣言し男を癒す。罪の癒しは神との和解である。我々は自分の願い(病の恢復等のご利益)などを祈ってしまうが、信仰とはイエスキリストという真実を求めるものである。