Shimako F一覧

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「知られない神に」使徒17:22-34 中村吉基

アテネの仲間と待ち合わせていただけのはずだったが聖霊に導かれて宣教をはじめたパウロの説教が今日の箇所である。「知られざる神に」という祭壇の前で「知らずに拝んでいるもの」は天地万物を作り命を与えるまことの神であると語った。他の信仰をけなすようなことはせずアテネの人達を尊重しながらの話であったが、すぐに受け入れられたとはいえなかった。私たちの周りにもいる「知られざる神」を探している人に「それこそイエスキリストである」と語ることが大切である。対話と愛の姿勢をもってまだ知られていない神を伝えていきたい

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「起きよ!」 エフェソ5:8-14 中村吉基

神を知らないまま生きていいた「暗闇」の者がキリストにより神を知り「光」となるとパウロは表現する。光は単なる明るさではなくキリストのことである。パウロは「光の子として歩みなさい」と勧める。神は分け隔てなくすべての人をキリストの救いに招いてくださる。それは突然立派な人になれるわけでなく、神に愛される者に生まれ変わるということである。やがて来る死に不安を抱くことがあるが、死は終わりではなく神のもとへの帰還である。私たちは地上で成し遂げる役割があり、神のもとへと帰る。今は亡き人たちはすでに神の元で安らぎのうちにある。再会を胸に地上で光の子として歩もう

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「神の愛は突然に」使徒2:1-13中村吉基

今日はペンテコステ。弟子たちがエルサレムに集まっていた時、激しい風が吹いてくる音がして炎のような下が現れその上にとどまりそれぞれ“霊”に満たされ、異なる国々の「ことば」で語り出した。巡礼のために集まっていたユダヤ人たちは故郷の言葉を聞いて驚いた。これは奇跡であり教会の始まりとされているが、「ことばの壁を越えて、人が人と出会い直す出来事」として受け取りたい。聖霊の働きによって弟子たちが話す「ことば」は分断されていた人間関係の壁を神の力によって破られた。親しみのない「ことば」や文化は不安になることがある。しかしペンテコステに生まれた教会は多様性に満ちた場だった。しかし人は固有の「ことば」の中に生きている。この日聖霊は弟子たちを突き動かし他者に向かってそれぞれの「ことば」で福音を語らせた。神と人と主イエスが繋がり直すため、違いをなくすためではんく「違いのまま、共にある」ためである。私たちが他者の「ことば」に耳を傾け自分の「ことば」で応えていく中に神の霊が生きて働かれるよう祈る。

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「共に歩まれるイエス」ルカ24:44-53 中村吉基

今日はキリストの昇天日、聖書では福音書から言行録をつなぐ場面である。弟子たちは天に上げられるイエスを仰ぎ見た後大喜びでエルサレムに帰ったとある。絶望やあきらめの中にあった復活前の弟子たちと随分様子が違う。イエスの昇天はただ生涯を終え天にあがったということではなく、復活された主イエスが天の栄光のうちに上げられ、今度は聖霊を遣わし、共に生きておられるということである。昇天は新しい出発であった。イエスは手を上げて祝福しながら天に上げられたともある。その手にはまだ十字架の深い傷があったであろうがそのみ腕をもって弟子たちを祝福した。来週は聖霊降臨を祝うペンテコステで、私たちに聖霊が与えられることを望み1週間をすごそう。