Shimako F一覧

NO IMAGE

「それでも朝は来る」マタイ28:1-10 中村吉基

今日はイースター。マグダラのマリアたちがイエスの墓を訪れる箇所である。彼女たちは危険を顧みずに墓へ行き、復活を知らされ、喜びを持って弟子たちに伝える。死は深い悲しみが伴うものだが、マリアたちの行動や復活の主との再会が示すように、死は終わりではなく新たな始まりであると聖書は語る。復活のイエスは今も私たちと共にあり、悲しみを共にし、再出発の力を与えてくださる。イエスは弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と告げる。これは単なる地名ではなく、私たちの日常・周縁・必要とされる場所を象徴である。私たちもそれぞれの「ガリラヤ」へと出かけていくことで、復活の主に出会える。

NO IMAGE

「本当にこの人は神の子だった」マタイ27:32-56 中村吉基

受難週におけるイエス・キリストの十字架刑の出来事を通して、神が人間の苦しみに共におられることを語っている。イエスが十字架につけられた背景には、宗教指導者の嫉妬、群衆の心変わり、ピラトの保身という三つの人間的要因がある。これらに共通するのは自己中心的な思いであり、現代に生きる私たちの中にも存在する。イエスはその罪を引き受け、力を使わず黙して十字架に向かわれた。十字架は神が私たちの苦しみに寄り添い、救いを差し伸べているしるしである。神の愛は今もなお、私たちに注がれている。

NO IMAGE

棕梠の主日礼拝 2025/04/13

本日の礼拝 旧約聖書:哀歌5:15-22 新約聖書:マタイによる福音書27:32-56 説教「本当にこの人は神の子だった」中村吉基 本日の集会 教会学校:9:00(ティーンズ科第2・第4主日9:50) ...

NO IMAGE

「仕え合う者になるために」マタイ20:20-28 中村吉基

今日は、イエスが弟子たちに対して、出世欲を捨て「仕える者になりなさい」と教えた箇所である。ヤコブとヨハネが母親とともにイエスに自分たちの位を求める姿は、人間の欲望を象徴している。イエスはその欲望を否定し、偉くなりたい者は皆に仕える者となるべきだと強調している。また、イエスは自らが仕えるためにこの世に来たことを示し、権力をふるうのではなく、他者を支える姿勢が重要であると教えている。仕えることは相手に耳を傾け、利害を考えずに尽くすことであり、この精神は日常生活や教会において実践すべきものである。