「わたしがあなたと共にいる」エレミヤ1:4-8 中村吉基

エレミヤ書1:4-10;ローマの信徒への手紙12:1-8

エレミヤは紀元前640年ごろに南ユダ王国ベニヤミンのアナトトにある祭司の家に生まれ、ヨシヤ王、ヨアキム王、ゼデキヤ王の時代に活躍した預言者です。彼は感受性が非常に豊かで涙もろく、「涙の預言者」とも呼ばれるほどです。今日私たちが聴いた箇所は、まだエレミヤが年若い少年期から青年期にかけて神さまの呼びかけを受ける場面です。

エレミヤが預言者として神さまの選び(召命)を受けるこの場面は、神さまとエレミヤが対話をしながら場面が進んでいきます。神さまの言葉は圧倒的な力を持ってエレミヤに臨んできました。その神さまはエレミヤが母の胎に造られる以前から知り、そこから生まれ出る以前に聖別していたと語ります。そして、その職務は預言者、それも諸国民の預言者であると告げられるのです。私たちならどうでしょう。皆さんが今のお仕事をすることが生まれる前から決まっていたのだと神さまに言われたならばどう思うことでしょう。5節で神さまは「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた」と「知っていた」「立てた」と完了形で語っています。もうエレミヤが生まれる前から預言者となることが決められていたなんて、彼が驚いたのは言うまでもありません。この神さまの呼びかけをエレミヤは当初断固拒否して、「わたしは語る言葉を知らず、若者にすぎない」と応じます。このエレミヤの言葉を聴く時に私たちは二つのことを思い浮かべないでしょうか。一つ目は神さまの御前で謙遜になって、「いやいや、私なんかを選ぶのなんてとんでもないことです」とこの召この呼びかけを断ろうとする。二つ目はそしてもう一つは本当に知恵も力もない、若僧であることを正直に告白しているのだと読むことが出来ます。その時の彼の心理状況までを聖書は告げていませんが、しかし、一つの手がかりとなることは、ここで使われている「若者」(ヘブライ語でナアル)という言葉は「男の子」とも訳される言葉でもあり、成人するのが早い古代社会では、20歳未満の青年であると考えられることです。そのような若者に向かって、激動する諸国民の世界の中で、彼らの将来を見据えながら、彼らと運命を共にせよと神さまは命じるのです。それを前にしてエレミヤがひるみ、たじろぐのは言うまでもありません。エレミヤという人は最初にもお話ししまししたように、「涙の預言者」内向的で、繊細で、感情豊かであったようです。そして何と言っても彼は傷つきやすい人でした。神さまは彼に誰のところにも神さまの言葉を携えて、行って、命じることをすべて語れと言われます。

このエレミヤに、同胞を助けようとして挫折をしたモーセが同じように神さまの呼びかけを拒むという場面を重ね合わせて見ることが出来ます(出エジプト記4:10以下参照)。しかも、エレミヤはモーセの時と全く同じ言葉で神さまに励まされました。「恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」という言葉です。こうして彼は神さまから立てられた預言者として押し出されて行きました。
ここで5-8節を見て行きましょう。とても面白い構造になっています。

5 生まれる前に預言者として立てた
6a わたしは語る言葉を知りません
6b 若者にすぎません
7a 若者にすぎないと言ってはならない
7b わたしが命じることをすべて語れ
8 わたしがあなたと共にいて必ず救い出す

5と8節、6節aと7節b 、7節aと7節bとがそれぞれ呼応しているようになっています。エレミヤの心配に神さまがその一つ一つに応えてくださっているような形になっています。

しかしエレミヤは神さまの召しだしに「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」と断っています。私たちもこうした体の良い言い訳をして断ってしまうことがないでしょうか。しかし神さまは「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と約束されるのです。神さまが大丈夫だから、行きなさい。わたしもいっしょについているから」と仰せになっています。「共にいてくださる神」――インマヌエルの主を実感します。教会の暦は再来週から「降誕前節」に入りますが、神は人間の姿となって私たちの間に生きておられることを再認識するのがクリスマスです。

今日の箇所から神さまは私たちに何を示したいのかと言えば、どんな困難な中でも、どんな苦しみの中でも神は共にいてくださるお方なのだということです。エレミヤは確かに年若く、口下手だったかもしれません。「けれども」神さまが共にいてくださる。皆さんこの事実をご自分のことに当てはめてみてください。Aさんはそれを成し遂げる力がないように見えるけれども「神さまが共にいてくださる」。Bさんは一人ぼっちで、一緒にその山を越えてくれる仲間がいないように思えるけれども、「神さまが共にいてくださる」。聖書が教える私たちにとって最も幸福な状態というのは「神さまが共にいてくださる」現実に気づくことなのです。

メソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーは臨終の時に、弟子の一人が「人生において最もよいことは何ですか」と尋ねると、
「神ともにいますことである」
と答えました。
また「第2によいことは何ですか」と尋ねると、
「神ともにいますことである」
と答え、
さらに「第3によいことは何ですか」と尋ねると、
「神ともにいますことである」
と答えたと言われています。
人生の最後で「神ともにいますこと」が最もよいことであると言いました。

神が共にいてくださる人生――讃美歌の533番「どんなときでも」の作詞者・高橋順子さんは7歳という短い生涯を終え、天に召されました。骨肉腫の苦しい闘病生活の中でこの詞を書き、1967年に召されました。後の1980年、「こどもさんびか」を改訂する作業が始まった時に、順子さんを励ましていた一人、冷泉アキさんという福島新町教会で教会学校の教師をしていた方を通してこの詞が讃美歌委員会に送られてきたそうです。この冷泉さんも「キリスト イエスは」や「さんびのうたを」という子ども向けの賛美歌の作者でした。順子さんの短い生涯で、病と闘い、くじけそうになるときにもその小さな身体を励ましてくださるイエスさまが居られたことを身近に感じていたでしょう。そしてイエスさまの愛を信じ、天に召されていった順子さんの生きざまがこの歌に込められています。

エレミヤは苦しみの人生のなかに預言者としての任務を全うしました。実はこのあと4回もエレミヤは神さまに嘆きの叫びを上げています。実際にはもっとたくさんの嘆きがあったかもしれません。彼が何度願っても、神さまは一見、迫害者たちから守ってくれるようには、どうしても思えませんでした。ではエレミヤの苦しみの最中、神さまはどこにいたのでしょうか?
神さまは思わぬ形で共にいてくださったのです――エレミヤが苦しみの嘆きを上げるとき神さまも隣りでいっしょに苦しめられていたのです。何度も何十度も神さまは苦しんだのでしょうか? ですから、エレミヤは遠慮もおそれもなく、神さまに嘆き、弱音を吐き、訴えたのです。しかし、エレミヤは預言者の任務を捨てませんでした。そうしなかったからこそ、神さまの言葉は歴史の中で消えることなく今この21世紀の私たちのところまで伝えられているのです。

今日私たちは、エレミヤの記事から「共にいて、共に歩んでくださる神さま」のお姿を学びました。このあとエレミヤは預言者として歩んでいきますが、そのことはエレミヤにとって大きな冒険でした。けれどもエレミヤが苦しい時、神さまも共に苦しんでいくださり、エレミヤがその職務を投げ出したいときには希望を語り、慰めてくださいました。私たちも、神さまがいつも共にいてくださることを信じて、新しい一歩を踏み出しましょう。その時私たちは恐れたり、嘆いたりすることはありません。神さまが共にいてくださるからです。