「負けて勝つとは」 マタイ26:47-52 中村吉基

イザヤ書9:1-5;マタイによる福音書26:47-52

東日本大震災が起こった年でしたから2011年の夏の頃のことでした。私の手元に一枚のはがきが届きました。当時被災地の仮設住宅に住む友人からのものでした。あの3.11の日に浜辺に近いところにあった友人の家は津波によって一階の部分が流され、その時もお母様と一緒に仮設住宅での生活を余儀なくされているのです。けれども私はそのはがきを最後まで読んで驚いてしまったのです。そこにはこう書かれてありました。

「『どんな不幸を吸っても
はくいきは感謝でありますように』というのが今の僕の信条であります」。

岡山県でハンセン病の方々のお世話を長年された河野進牧師の詩の一節でした。
はがきを送ってくれた友人はクリスチャンではありません。それが誰の創った詩なのかも知らず、ただキリスト教の言葉だと知って、自分の信条にしていたのです。
そこに書かれていたのはこのような詩でした。

天の父さま

どんな不幸を吸っても

はくいきは感謝でありますように

すべては恵みの呼吸ですから(河野進)

剣を取る者は皆、剣で滅びる

今日私たちは平和聖日の礼拝を捧げています。1962年、私たちの日本キリスト教団の総会において西中国教区から「平和聖日」の制定について提案されました。それを受けて、「毎年8月第1日曜日を平和聖日とする」ことを教団は決定し、翌63年の8月より実施されました。ちなみに西中国教区には世界最初の被爆地であるヒロシマが含まれています。教団に連なる全国1700の諸教会は第2次大戦中の戦争協力への反省と近隣諸国へ与えた被害、また広島・長崎の被爆をおぼえ、今朝の礼拝を捧げています。平和聖日でなくても私たちは平和のことを考え、自分の課題とし、それに向かって行動せねばなりません。なぜならイエスさまご自身「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5:9)と仰せになったからです。私たちはただただ祈るだけではない、心に平和を思い浮かべるのではなく、平和を「つくり出す」者に変えられなければならないのです。

イエスさまはあの十字架につけられる前、ゲツセマネで敵に捕らえられた時、それに抵抗する弟子たちに向かってこのように言われました。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:51)

沖縄のガンジー

沖縄の伊江島に阿波根昌鴻 (あはごん しょうこう)というクリスチャンがいました。2002年に101歳で天に召されましたが、阿波根さんは沖縄のガンジーと呼ばれました。暴力を使わないで暴力に立ち向かう人(非暴力的抵抗主義者)でした。

1920年頃、17歳でキリスト者になった阿波根さんは、移民としてキューバとペルーに行きました。その後、帰国してから京都(一燈園)で農業を学び、1934年には沖縄へ帰島。伊江島に渡り、農耕に従事するようになります。それは「静かでのどかな農業生活」であったそうです。ところが戦争が近づくと、阿波根さんは飛行場の建設作業にかりだされるようになりました。そして飛行場が完成すると同時に開戦。やがて伊江島は激戦地となりました。1945年4月のことです。こうした状況の中、阿波根さんの大切な一人息子が戦争で命を落としました。当時、伊江島にある1500戸の家庭で、犠牲者の「出なかった家」はほとんどなかったそうです。それは「思い出すだけで気絶してしまうほどの苦しみだったというものでした。

そして敗戦を迎えると、伊江島の土地の約6割が米軍によって接収されるという事態が起きました。1954年頃から強制的な手段によって、農民たちの大事な農地が米軍に奪い取られていきます。そこで阿波根氏は反対運動の先頭に立ち、「伊江島土地を守る会」の会長を務めました。具体的には、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行い、米軍による土地強奪の不当性を訴えたのです(1955年7月~1956年2月)。

その後、阿波根氏は法廷闘争や直接交渉などの抗議行動を繰り広げましたが、それでも決して反米的にならず先ほどのイエスさまのみ言葉「剣を取る者は皆、剣で滅びる」を信念に掲げ、共に助け合って生きようと呼びかけたのです。まさに阿波根氏は、武力を否定し、あらゆる対立を越えた平和を願う人でした。

阿波根さんは、戦前に教育を受けた内容が、戦争が始まってから嘘であるとわかりました。知らなかった愚かさが悔しいとも言っていたそうです。戦争は人災だ。だから人災を防ぐには教育が大切だ。平和の武器は教育だと言って、この資料館を81歳で始めた。でも101歳で死ぬまで結局、戦争を終わらせることができませんでした。「ヌチドゥタカラの家」には「広島を忘れるな、長崎を忘れるな、沖縄を忘れるな、伊江島を忘れるな、過去を忘れる者は、もう一度それを繰り返す」と掲げられています。

徹底的な非暴力を貫き、米兵と交渉する際は絶対に手を上げず、声を荒げず、兵士たちには憐れみの心で接しようと提唱し、それを実行してきました。
米軍に対して、伊江島の農民たちは徹底した非暴力による抵抗を貫き1970年に伊江島の軍用地の40%返還の約束を米軍当局にとりつけました(その後撤回されたそうです)。

阿波根さんが伊江島の農民たちと米軍に対して申し合わせたことには。「米軍には反対するが、アメリカとアメリカ人全部を敵と見ない」などがあったそうです。

「陳情規定」というものが定められました。そこには

一、米軍と話をする時はなるべく大勢の中で何も手に持たないで座って話をすること耳より上に手を上げないこと
一、決して短気を起こしたり 相手の悪口は言わないこと
一、嘘、偽りのことを言わないこと
一、布令布告によらず道理と誠意を持って幼い子供を教え導いて行く態度で話すこと
一、沖縄人同志は如何なることがあっても決してケンカはしない
一、私たちは挑発にのらないため今後も常にこの規定を守りましょう

阿波根さんたちは徹底して非暴力で抵抗したことを見ることができます。

「ヌチドゥタカラの家」の壁には

「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ」(聖書)
「基地をもつ国は基地で亡び
核を持つ国は核で亡ぶ」(歴史)

と書いてあります。

今日の説教題は「負けて勝つとは」としました。阿波根さんの信念にしていた言葉です。日本のキリスト教の歴史においてもクリスチャンの非暴力による抵抗をした人物がいることに感謝するものです。
パウロは言いました。
「希望は失望に終わることはない」(ローマの信徒への手紙5:5)。
今私たちはどんなに失望せざるを得ない現実の中にあっても神さまに依り頼んでいく希望が与えられています。
神さ約束され、宣言された希望を捨てることなく神を仰ぎ見る私たちでありたいと願います。

すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ(聖書)
基地をもつ国は基地で亡び、核を持つ国は核で亡ぶ(歴史)

これは阿波根さんが語り続けた言葉でした。

ゆるしを求めて

本日の週報に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)が掲載されています。これは1967年のイースターに当時の教団総会議長であった鈴木正久牧師の名で発表されたものです。きょうだけではなく、折に触れて読んでいただきたいと思います。この中の8段落目にこのようにあります。

まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会のまたその罪におちいりました。わたくしどもは『見張り』の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主のゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、また、わが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

今もなお、福島で原発の被害に苦しんでおられる人々がたくさんおられます。震災のあと、行政による除染作業の順番が来るのを待っておられずに自主的に除染をしている方々もたくさんおられました。そういう方々の心の中には子どもたちや孫を福島には招くことが出来ないけれども、せめて孫の子どもたちには何とか家に来てほしいという思いを込めて除染作業をしていると聞きました。
冒頭にお話ししました葉書を送ってきた友人、かれも「負けて勝つ」ことがどういうことか知っていたのではないかと思うのです。

坂村真民(さかむら・しんみん)という詩人がこういう詩を遺しています。

あとからくるもののために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
(略)
山や川や海をきれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛いい者たちのために
(略)
みなそれぞれ自分で出来る
何かをしていくのだ

私たちは今日、これまでの人間が快適さや便利さ、また豊かさを求め続けた結果、人間は過ちを犯してしまったことを深くざんげしなければなりません。そして私たちは「自分でできる何か」をすることで平和をつくり出していく者になりましょう。イエスさまは剣を突きつけて、自分に立ち向かってきた敵たちをゆるされました。「負けて勝つ」とはそういうことなのです。そのように神さまもまた私たち人間が犯した罪責への悔い改めを受け容れ、救いに導いてくださいます。

(祈りましょう)
天の父さま
どんな不幸を吸っても
はくいきは感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから