第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白一覧

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「恐れるな。語り続けよ」使徒18:1-11 中村吉基

アテネで伝道がうまくいかなかったパウロはコリントにいたユダヤ人への宣教もうまくいかない。イエスをメシアと認めないユダヤ人に口汚く罵られ服の塵を振り払って異邦人へ伝道することを決める。異邦人の人々に福音は受け入れられたが同胞のユダヤ人とは膠着状態にあったパウロは苦しかったはずである。そんな時神はパウロに「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」と語りかける。これは神が「共にいてくださる」ということである。今日は平和聖日、第2次大戦中キリスト教会は国策によって合同したが、厳しい弾圧にあった教会もあり、逮捕・検挙された牧師もたくさんいた。教団には、そんな彼らを見捨てた歴史がある。戦後鈴木正久によって、正しい判断ではなかったという戦責告白を公にした。沈黙は罪である。私たちはペトロやパウロの時代に始まって連綿と「平和の福音」を告げ知らせてきた教会なのである。

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「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』」マタイ5:37、26:52 中村吉基

2/11は日本のプロテスタント教会の「信教の自由を守る日」。明治政府が日本書紀の記述をもとに天皇中心の歴史観で1872年に定めた紀元節は、第2次世界大戦後は廃止されたが1967年から「建国記念の日」として復活した。日本キリスト教団は戦時に体制側に擦り寄り信仰を捨て戦争に加担した反省があり同年のイースターに「戦争責任告白」を発表し、同日を「信教の自由を守る日」とした。今日の箇所「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい」は「誓ってはならない」に続く言葉である。当時の誓いは身を滅ぼし命がなくなるようなものもあり、イエスはそのような事に神の名をみだりに使って誓うことなどは傲慢だと指摘した。命や物質的なものすべては神から預けられたものであり、自分の好き勝手にしていいものではない。命は仕事や国に捧げていいものではない。私たちには「拒否」する自由も与えられている。防衛費を増大させ、かんたんに戦争に加担するような国に対して決して無責任・無関心になるのでもなく「イエス」か「ノー」かを積極的に選び取り行動を起こしていきたい。