「元気を出しなさい」使徒27:21-26 中村吉基

出エジプト記12:24-28;使徒言行録27:21-26

皆さんは今までに「もうダメだ」と思った経験は何回ぐらいあるでしょうか。その中で実際に病気とか事故などで、いのちの危険に晒されたことはあったでしょうか。そこまでとは行かなくても、希望を失ってしまい、もうこれ以上先に進むことはできないという経験はなかったでしょうか。

これは昔のアメリカでのお話です。ある人の大学時代の話です。ルームメートとの手持ちのお金が10セント(ここでは10円と考えてみてください)になってしまいました。家族からのわずかな仕送りのほかは、ルームメートは奨学金、その本人はアルバイトで生計やら学費を賄っていました。ところがその月はどういうわけか家族からの仕送りが届きません。それで10セントだけになってしまったのです。彼はこの10セント硬貨一枚で、遠くはなれた実家にコレクト・コール(電話を受けた方が通話料を負担する仕組み)をしました。そこに出た母親の声は暗いものでした。なんでも父親が病気になってしまったために、今月はどうしても仕送りができなかった。そしてルームメートの家族とも親交があったこの母親は、どうやらルームメートの家族にも事情があって仕送りが出来なかったことも併せて告げました。そしてこの時、2人は大学を途中で辞めざるを得ないところまできていました。その電話の受話器を置いた時のことでした。お金の返却口に次々と10セント硬貨が落ちてきました。誰も見ていない矢先の出来事でしたから、このお金を使ってしまうこともできたはずです。しかし彼とルームメートは相談して、電話の交換手を呼び出します。そこで交換手に事情を話すと、また電話機にお金を戻してください、と告げられました。彼らは何度もそうしましたが、何回やってもお金は外に出てきてしまいます。そのことを交換手に告げると、今度は上司に相談してくると席を立ってしまいました。しばらくして戻ってきた交換手は、「そのお金はあなたたちで受け取ってください。たった数ドルのために、今すぐ人をやるわけにもいかないので」と言いました。驚いてしまったのは彼とルームメートでした。そのお金は7ドル20セントありました。昔のことですから当面の食料が買えたのでしょう。食料品店に行って、そのお金を使った時に不思議に与えられたこのお金のいきさつをそこの支配人に話しました。
すると彼はこの2人に「明日からここで働かないか」と声をかけてくれたのです。卒業までそこで働かせてもらった彼はやがて実業家に、そしてルームメートは弁護士になりました。電話をするのに使った10セントはその後食料に変わりましたが、彼は食料品店の最初のバイト代の中にあった10セント硬貨をいつまでも「自分の原点」として大事に持っていました。そしてあの時から自分が受けた祝福によって家族も貧困と決別することができました。実は彼らは大学を無事卒業できた時、電話会社の社長さんに手紙を書いたそうです。「あのお金を返すべきではないか」と。しかし社長さんから手紙が来て、「お金が有効に使われたことをうれしく思っている」と祝福してくれたのでした。彼はあの時なぜ電話機が壊れたのか、今もって考えてみても分からないのです。そしてたった一つ言えることは「神がそうしてくださったのかもしれない」ということだけでした。

パウロの最後の足取りと、いつどこで亡くなったのかということについては、はっきり分かっていません。3回の伝道旅行を行ったのち、エルサレムで捕縛され、裁判のためローマに送られました。伝承によれば皇帝ネロのとき60年代後半にローマで殉教したとされたともいわれています。今日の箇所はそのローマ皇帝のところに送られ、パウロの乗った船は当初は順調に進んでいましたが、ある時、暴風が吹いてきて海上で立ち往生してしまうことになりました。これはいのちの危険をも孕むものでした。

もう何日も海の上にいましたから食料も減ってきていたのか、できうる限り節約をしようとしたのか、21節には「長い間、食事をとっていなかった」とあります。船酔いがひどくて食事が取れなかったとも考えられます。いのちからがら神に祈っていた人たちもいたことでしょう。恐怖におののいて神を思い起こすどころではなかった人もいたでしょう。しかしパウロはこの出航の前に船旅の危険性について話していました。しかしそのことも水の泡です。皆さんもこの船に今自分が乗っていることを想像しながらこの記事に書かれていることを味わっていただきたいのですが、今この船に乗っている人たちの心には暗雲が立ちこめていました。しかし、ここに平常心でいられる人が一人だけいました。それはパウロでした。

パウロはこの場面で2回も「元気を出しなさい」と船にいた人たちを励ましています。そして「船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」と語っています。いったいこの強さはどこから来るのでしょう。しかし、この時このパウロの言葉を聞いていた人たちは、彼の強さに感心するのではなく、この緊急時にパウロが、気が変になったのではないかと思ったかもしれません。

その理由についてパウロは23節以下のところで語っています。神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」。そう語ったというのです。パウロは天使が語ったままに信じていました。しかし、天使の言葉の冒頭は「恐れるな」という言葉で始まっているところを見ると、パウロもまた船の危険、自分たちのいのちの終わりを危惧していたのかもしれません。私たちも時々やるかもしれません。「苦しい時の神頼み」です。

私たちが神に祈る時、その祈りが「聞かれるか」「聞かれないか」、そのことはわからないまま祈ります。しかし、この時のパウロは、天使が現れたことだけをとっても、神に「見放されていない」ということを確信しています。なぜそのように確信できたのか、証拠がここに遺されています。遺されたといっても私たちの聖書ではその痕跡を辿れないのですが、24節をごらんください。天使の言葉をもう一度ご一緒に読んでみましょう。

パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。

実は「出頭しなければならない」のあとに本来は「そして見よ」という言葉があるのですが、私たちの聖書や日本語の聖書の多くはここが訳されていません。本当ならばこうなるのです。「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。“そして見よ”神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」。実はこの「そして見よ」という言葉は、人間には想像だにできないような奇跡的な出来事が起こるという時に使われる言葉だからです。

「そして見よ」という言葉のゆえにパウロは必ず神は自分たちを守ってくださることを確信したのです。そしてそのパウロの信仰の強さそして堂々とした言葉は、船にいて不安に喘ぐ人たちの生きる希望につながって行き、一人ひとりを勇気づける結果になりました。今日の箇所はここで終わっていますが、27章のこの後の展開では海を漂流して14日を経た頃、陸地に近づいて276人のいのちが助かったことが記されています。

以前の礼拝でもご紹介したことがありましたが、第2次大戦後に「蟻の町のマリア」と呼ばれた北原怜子(きたはら・さとこ 1929-1958)さんは結核が原因で、1958年28歳で天に召されました。まだ28歳の若さでした。蟻の町というのは隅田公園の片隅で身を寄せ合って生きていた廃品回収業者の町でした。ちょうど怜子さんが亡くなる前に、東京都から隅田公園を占拠している蟻の町に、立ち退きを迫られていた。ようやく生活していけるようになったというのに、ここを追い出されてしまったら、いったいどうやって暮らしていけばいいのか。苦労の末に、ようやく立ち退き先として東京湾の埋め立て地である8号地(今の江東区潮見、枝川一帯)を確保したものの、手放しで喜ぶわけにはいきませんでした。新しい土地の代金として東京都に支払う2500万円を用意しなければならない。それも即金で。とても一度に払える金額ではなく、皆が「蟻の街は焼き払われるのだ」と絶望の淵に立たされました。そのような時でも、怜子は笑顔を絶やさなかったといわれています。蟻の街が移転することが神の御旨(みむね)にかなうのなら、きっとなんとかなると堅く信じていたからでしょう。「弐千五百萬円」と書いた紙を枕元に貼りつけ、それに向かって、来る日も来る日も祈りを捧げたのです。

1958年1月19日、東京都から1本の電話がありました。明朝、出頭するようにということでした。2500万円の問題について、何らかの結論が出たというのです。「いろいろ、蟻の街の都合や事情も考えた末、やはり、1500万円を5年ローンという条件がいちばん妥当だと思うようになりましたが、あなたの方に何か異存がありますか?」2500万円の即金が1500万円の5年ローンに軽減されたのでした。怜子の祈りが通じたのか。それとも、神の御旨にかなったのか。とにかく蟻の街は焼き討ちの危機から脱することができたというのです。しかし、もうひとつの奇跡は起こりませんでした。町の会長さんのうれしい知らせを聞いた怜子は、満足そうにほほえむと、もう思い残すことはないと言い残し、昏睡状態に陥ってそのまま静かに息を引き取りました。

北原怜子の生きざまや今日の聖書の箇所が私たちに教えることは、私たちが「もうダメだ」と絶望した時にも、信仰によって人びとを励まし続けることができるか、ということです。「元気を出しなさい」と自分のことを顧みないで、人びとに寄り添うことができるでしょうか。そして何よりも大切なのは、私たちは望みなき時にも神を信じ続けることはできるのか、ということです。神は今朝、私たちに問われています。

参考:『アリの街のマリア 北原怜子』(松井桃樓。春秋社、1998)

※教会図書にあります。

『マリア怜子を偲びて—その愛は永遠に』(北原金司、八重岳書房、1971)