イザヤ書25:1-10; ルカによる福音書14:15-24
I
先週の聖霊降臨祭に続き、三位一体主日を本日祝う私たちは、すでにもう100日ほどの間、ロシアによるウクライナ侵攻という巨大で陰鬱な影の中にいます。
一方的な軍事侵攻を受けた国にとって、自国の領土内で侵略者に軍事的に対抗することは、国際法上も認められているのでしょう。サッカーのワールドカップ予選に敗れたウクライナ・チームの一人の選手が試合後のインタヴューで、「誰もが自分の国で平和に、また自由に暮す権利をもっている。世界の皆さん、私たちを助けてください」と涙ながらに訴えていました。
自国の独立と主権を維持するために、諸外国から武器供与という軍事支援を受けることも、侵略した当のロシアを除けば、国際的にほぼ容認されているようです。
しかしながら、自国を守るために闘うウクライナ軍兵士たちへのあらゆるリスペクトにも拘わらず、また隣国を侵略するために投入されるロシア連邦の貧困地域出身の兵士たち、ろくに訓練も受けていないまま駆り出される若年兵士たちへの、禁じ得ない同情にも拘わらず――武力によってしか、かろうじて独立と平和を維持できないという現実は、平和を希求する世界中の人々の誇りを深く傷つけます。
この点では、米国で多発する学校での銃乱射事件に関連して、「銃を持つ悪い奴らを防ぐことができるのは、銃を持つ良い男たちだけだ」という、トランプ前米国大統領の発言も同様です。イエスは「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言ったではありませんか(マタイ26:52)。
真の希望と呼ばれるに値する、武力によらない平和への夢に、未来はあるのでしょうか。それが何でありうるかについて、イエスの「大いなる晩餐」の譬えを手がかりに、ごいっしょに考えてみましょう。
II
このイエスの譬えは、先ほど朗読したルカ福音書14章16-24節と並んで、マタイ福音書22章2-14節に、また今日は参照しませんが外典であるトマス福音書の語録64にも並行伝承があります。これら三つのヴァージョンは、ひとつの同じ話の三通りのヴァリエーション、同じ曲の三人の別々の歌手による、それぞれ独自のアレンジを加えられたカバーヴァージョンと見てよいでしょう。
その「元歌」のようなものを仮説的に再構成してみると、例えば次のようなものであったかもしれません。
神の王国は、次ぎの話のようである。
【設定】ある人が大きな宴会を催した。そして晩餐の時刻に、彼は奴隷を遣わし、招待客たちに言わせた、「お越し下さい。もうすっかり準備が整いました」。
【危機】すると皆が一斉に言い訳を並べ始めた。
最初の者が彼に言った、「私は土地を買いました。どうしてもそれを見に行かねばなりません。申し訳ありませんが失礼させていただきます」。
次の者が言った、「私は二頭ずつ五組の牛を買いました。これからその品定めに行くところです。申し訳ありませんが失礼させていただきます」。
第三の者が言った、「私は妻を一人娶ったばかりです。それで伺うことができません」。
【行為】奴隷は帰り、そのことを主人に報告した。主人は怒って、奴隷に言った、「急いで通りに出て行きなさい。そして出会った人を招きなさい」。奴隷は命じられた通りにした。そして家はいっぱいになった。客で大入り満員である。
舞台設定は「町の大通りと小路」(ルカ14:21)、「街路の四つ辻」(マタ22:9)などの表現に照らして、それなりの人口がいる都市が想定されているようです。
主人は社交活動の一貫として宴会を企画し、当日夕刻に奴隷を派遣して、礼儀を尽くして招待客たちを招きます。
しかし驚くべきことに、客たちは全員が参加を断ります。「土地」や「牛」の購入ないし「妻」の娶りという、いずれも家の経営に関わる用事がその理由です。社会常識的には、そのようなドタキャンは現代におけるのと同様に、古代社会においてもありえないことでした。
したがって共同体の中で社会的メンツを丸つぶれにされた主人の「怒り」は、しごく当然のことです。しかし主人は、このありえない拒絶に直面して、これまた奇想天外な代案で対応します。つまり町の通りから、誰かれかまわず人を招くのです。晩餐とは社交を通じて、自分の社会的ステータスを見せびらかすための大切な機会ですので、通常、招待客は慎重に選ばれました。
それでも、この怪しげな参加者たちによるパーティーは大盛況となり、みごとに成功した。――これが、イエスが語った譬えの「元歌」メロディーであったと思われます。
宴としての「神の王国」というイエスのイメージは、先に朗読したイザヤ書25章のイメージの伝統に属します。そこでは神ヤハウェが、エルサレムの山上で諸国民すべてを招いて大宴会を催して極上のワインとお肉でもてなし、そのとき神の民イスラエルの歴史上の汚名を、また死をも永遠にとりのぞくだろうと言われています。
生前のイエスが、「罪人」と呼ばれる人々と交わりの食卓を共にしたのも、この喜びの宴としての「神の王国」の先どりでした。そこには、神が与える平和への希望が溢れています。
III
しかし、イエスの死後およそ35年後に、ユダヤ地方全域は第一次ユダヤ戦争(紀元66-70[73]年)に突中します。これは、対ローマ武装独立闘争でした。そして紀元70年には、エルサレム神殿がローマ軍によって破壊され、炎上焼失します。後にユダヤ側は、完全に敗北しました。
新約聖書に保存された福音書はすべて、その敗戦後に成立しており、いわば〈戦後の眼差し〉でかつてのイエスの活動について、自らの経験を交えて物語ります。
マタイ福音書では、招待客に断られた「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」とあります(マタイ22:7)。これは、ローマ軍によるエルサレム破壊の暗示です。また、マタイの招待主は、礼服を着用しないで婚礼に参加した客の「手足を縛って、外の暗闇に放り出せ」と命じます(マタイ22:13)。これは、教会共同体の内部にじつは救いに値しない者がいる可能性はある、というマタイ福音書に独特な教会理解の表れです。
他方でルカ福音書には、マタイほどあからさまにユダヤ戦争を示唆する要素は見当たりません。それでも、二度に亘る奴隷たちの派遣が、キリスト教会の伝道がパレスティナ内部のユダヤ人伝道から、その外部の異邦人伝道へと歴史的に広がっていったことを示すとしたら――パレスティナ外部でルカ福音書は成立しています――、「招かれた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいない」(ルカ14:24)という少し奇妙な、譬えの主人あるいは語り手イエスの最後の発言は、自分たちはユダヤ人への伝道をもはや放棄するという意味が込められているかもしれません。
IV
こうして、紛争の火だねはあるものの、いまだに壊滅的な武力衝突には至っていない時代を生きたイエスの譬えでは、怪しげな無資格者たちによる平和の宴というイメージが支配的です。このメッセージには神が無償で与える救いの尊厳、しかも自由な招きに自由に応じるという非暴力的な説得と応答があります。
他方で、そのイエスの譬えを伝える福音書記者の筆遣いには、戦争暴力がもたらした憎悪と分断が、濃淡の差をともなって現れています。マタイの場合、ユダヤ戦争の敗北は、イエスが体現した神の招きを拒絶したことに対する、外国軍を用いた神の強制的な怒りの審判です。本質的には同じ厳しさが、教会共同体の内部にも向けられます。そしてルカの場合、ユダヤ人は神の「招き」に値しない人々であったと見なされつつあるようです。
V
暴力と破壊の後に、平和はどのようにして可能なのでしょうか。希望はどこにあるのでしょう。――少なくとも福音書を読んで分かるのは、自分たちが通り抜けた暴力の体験とその爪痕を、彼らがイエスの譬えを用いて理解しようとしていることです。
マタイが教会共同体の内部にも厳しい目を向けることは、罪の自覚と悔い改めを介してユダヤ民族全体が再生するように、という願いの表現である可能性があります。マタイにとって教会は真のイスラエルを代表しており、彼のキリスト教は決してユダヤ教から切り離されていないからです。私たちの共同体が蒙った暴力は、私たちの再生を促します。
他方で、ルカのイエスは「婚礼の祝宴に招待されたら、上席についてはならない」(ルカ14:8)、「宴会を催すときには、貧しい人、身体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」(同14:13)と教えます。譬えの主人もそのように奴隷に命じています(同14:21)。ルカのイエスは、戦争に勝利したローマ社会に一般的であった上昇志向の価値観、つねに名誉を求めて止まない社会的態度を、内側から変革しようとしているのかもしれません。
小さなコミュニティーである私たちも、罪責の自覚と名誉心の放棄による平和への希望の再建に向けて、世界中の平和を希求する人々と祈りを合わせたいと願います。