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受難節前第2主日礼拝

受難節前第2主日礼拝

受難節前第2主日礼拝  10:30

  司会・説教  陶山義雄
  奏      楽  原田由加

前    奏  (黙祷)
招    詞  「イザヤ書」40章30-31節
讃 美 歌  1 (主イエスよ、われらに)
交 読 文  「詩編」139 (p.37)
旧約聖書  「エゼキエル書」37章1-14節 (旧p.1,357)
新約聖書  「ヨハネによる福音書」11章17-27節 (新p.189)
祈    祷
説    教  〈生命から命へ〜二重の身分〉
祈    祷
讃 美 歌  525 (主なるイエスは)
献    金
主 の 祈  93-5
頌    栄  83 (聖なるかな)
祝    祷
後    奏
			

 

  • 教会学校 9:00〜 「神さまの望み3 感謝しよう」 木下由美子

本日礼拝後

  • 9条の会 石破茂著「こういう日本を作りたい」を読んで懇談。会議室A

 

今週の集会

  • 祈り会 2月26日(水)10:30-11:30 会議室A。「死刑の是非」ヨハネ19:7 秋葉正二

 

次週(3月2日)予告

  • 教会学校 9:00〜 「受け入れる」 鈴木伶子
  • 役員会 会議室A

 

今後の予定

  • 3/9(日)CSスタッフ会議(ランチ会)12:00〜13:30
  • 3/9(日)支区総会(渋谷教会)
  • 2/16-3/3 廣石牧師不在(インド・スタディーツアー)

 

お知らせ

  • キリスト新聞2面に「他民族の人々と共に賛美し、祈り、喜ぼう」と題して秋葉牧師が執筆しています。

 

牧師室から 〈現行和訳聖書の工夫〉

 新共同訳聖書では「生命」という言葉は12回(全て旧約)しか登場しない。それに比べて「命」は539 箇所(旧約で412、新約で127箇所)に登場する。実は、旧約のヘブライ語(カウアー)も新約のギリシャ語(ゾエー)も「生命」とも「命」とも、どちらにも訳せる言葉であるが、現行の邦訳聖書は両語を使い分けている。旧約で少数ではあるが「生命」と訳された内容は、法が生きている限定的期間を指して用いる場合と、神から切り離された個人の生命として捉えている知恵文学や、黙示文学の場合であって、それ以外では旧約でも新約聖書でも神から頂いたものとしての「命」として訳されている。法が及ぶ 範囲は地上に生きている限りのことである。だから「生命」が用いられているのである:「民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。」(レビ記19章16節 他) また、創造主から切り離された個人として生きている姿は所詮、滅びに至る「生命」であって、神に結ばれた「命」とは区別されている:「わたしたちは、この世からイナゴのように移ろい行き、わたしたちの生命は朝もやのようになりました。もはやわたしたちは、憐れみを受ける資格もありません。」(旧約外典エズラ記・ラテン語・4章24節 他)

 新約聖書の中で「命」が最も多く語られているのはヨハネ文書で38箇所に登場する。次いでパウロ書簡であるが、いずれもイエス・キリストによって与えられた「永遠の(新しい)命」である:「キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ書6章4節) 新約に「生命」と言う訳が皆無である理由こそ、命を誕生から死までの限られた体では見ていないことを証しているのである。(陶山義雄)