降誕後主日礼拝
降誕後主日礼拝 10:30 司会・説教 廣石 望 奏 楽 中島貴子 前 奏 (黙祷) 招 詞 (ヨハネ3,16) 讃 美 歌 271「喜びはむねに」 交 読 文 イザヤ書40章(「交読文」p.44) 旧約聖書 イザヤ書60,1-11 (旧p.1162) 新約聖書 ルカによる福音書2,25-38 (新p.103) 祈 祷 説 教 「異邦人を照らす」 祈 祷 讃 美 歌 276「あかつきの空の美しい星よ」 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 25 祝 祷 後 奏
- 本日の教会学校 お休みです。次回は1月6日。
本日礼拝後
- とくにありません。
今週の集会
- 祈り会 1月2日はお休みです。次回は1月9日(水)10:30-11:30 会議室A。
次週(1月6日)予告
- 顕現日主日礼拝 10:30〜
聖書: マタイによる福音書2,1-12
説教: 「幼子を拝む」廣石 望
- 教会学校 「新しい年のはじまり」(詩編33.3) 原田由加
- オリーブ会はお休みです。
今後の礼拝・集会予定
- 1月6日(日)定期役員会
- 1月13日(日)代々木上原教会九条の会
CSスタッフ打ち合わせ 礼拝直後に短く - 1月20日(日)関田寛雄牧師説教
ガリラヤ会、青年会、壮年会 - 1月26日(土)故・IYさん納骨式
牧師室から
人は後ろ向きにしか理解することはできない一方で、前を向いて生きなければならない。
もっとも過去は、まだ定まっていないばかりか、それ自体ないしそのすべてが今も重要なわけではない。むしろ来るべきものの光に照らされて、意識的に方向定位を探ろうとするとき、いくつかの過去を独自の仕方で理解することが大切になる。
『論語』為政篇に「温故知新(ふるきをたずねて、あたらしきをしる)」という。先生(師)になる条件について弟子が訊ねたとき、先人の思想や学問をよく研究することで、新しい知識や見解をえることが大切だ、と孔子が教えたものであるそうだ。
キリスト教についての〈学問〉であれば、それはそのとおりだろう。しかしキリスト教〈信仰〉そのものについてはどうか?
なるほど信仰の先達から学ばされることは多い。しかし私たちは、先人たちの信仰を崇拝しているわけではない。私たちが信じるのは神だ。そしてこの神は「見よ、新しいことを私は行う」(イザヤ43,19)と告げ、使徒パウロは「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(2コリ5,17)と宣言する。
そのように言われる〈新しいこと/もの〉は、古いこと(/もの)とは原理的に異なる。この新しさは、その到来によって古いものを古くする。神やキリストの到来、信仰の到来とは、つねにそのようなできごとだ。〈クリスマスの喜びは継続する〉と言われるのも、このできごとが過去へと過ぎ去らないからだ。
こうした来るべきものへの予感があって初めて、私たちは将来を単なる過去の続きと捉えることから解放され、過去を新しい眼差しで理解することを通して、現在を新しく発見できるようになるだろう。(廣石望)