顕現後最終主日礼拝
顕現後最終主日礼拝 司会・説教 廣石 望 奏 楽 玉嵜順子 前 奏 (黙祷) 招 詞 (ヨシュア記1,5) 讃 美 歌 51 交 読 文 詩編61編(『交読文』p.21) 旧約聖書 イザヤ63,7-14(旧p.1164) 新約聖書 コリントの信徒への手紙二1,12-22(新p.325) 祈 祷 説 教 「神の然り」 祈 祷 讃 美 歌 529 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 28 祈 祷 後 奏
- 教会学校 9:00 お話 教会学校 9:00 お話 「5人の友達」(ルカ5,17-26)松原 新吾
- オリーブ会 9:40-10:10 牧師室 どなたでもご自由に
ご報告
- 1月28日(土)15:00〜、NNさん(今月10日に召天)の告別式(追悼礼拝)が礼拝堂で執り行われました。
本日礼拝後
- 定期総会(4/22)を目指したアンケートNo.1 を配布します。ご協力をお願いします。
- OTさん(今月27日に召天)の告別式
14:00から礼拝堂にて。(15:00出棺)
今週の集会
- 祈り会 2月1日(水) 10:30-11:30 会議室A。村上先生の祈り会講話(オバデヤ書)のテープを聞いて、ともに祈ります。
次週(2月5日)予告
- 教会学校 9:00 教会学校 9:00 お話 「レビを弟子に」(ルカ5:27-32)中島 貴子
- 受難節前第3主日礼拝
説教:「覚醒」廣石 望
聖書:マルコ福音書13,32-37
今後の予定
- 2月5日 コーヒーアワー、総会のための全体会No. 1
- 12日 定例役員会
- 19日 15周年プログラムNo.2
- 26日 総会のためのアンケートNo. 2 配布
牧師室から
伝統的にキリスト教神学は、人が「神の似姿」(創1,27)であることの意味を、人が他の動物よりも優れている(らしき)能力に求めてきた。理性や意志、言語と道具を操る力など。それは、人の特徴から神を――例えば「最高の理性的存在」と――推論することや、人だけに被造界を支配する権利があるとする理解につながる。
しかしそもそも人が「神の似姿」であるしるしを、なぜ他の動物よりも「優れている能力」に求める必要があるのか。これは恥ずかしいほど独善的な、悪しき優生思想ではないのか。そもそも「人」理解から、「神」理解を引き出してよいのか。それは人工的な技術に「プルトニウム」「もんじゅ」などの神話的・宗教的オーラをかぶせるのと同じであろう。
人間理解におけるロゴス(理性)とエートス(意志)の重視は、パトス(受苦)の軽視をもたらした。「霊」は「身体」と、合理的「理性」は感覚的な「欲求」と対立させられた。しかしイエスは、「命は食べ物より、体は衣服より大いなるものだ」と言う(ルカ12,23)。「命」も「体」も創造神が与えるもの、人はこれを受けとることで存在する。また新約聖書で「神の似姿」なのはキリストである(コリント二 4,4)。
ならば人の能力ではなく、むしろキリストを通して私たちに与えられた神の創造性を〈受けとって生きる〉こと、つまり信仰(信頼)から生きることが「神の似姿」の真の意味かもしれない。(廣石望)