顕現後第3主日礼拝
顕現後第3主日礼拝 司会・説教 廣石 望 奏 楽 中村今日子 前 奏 (黙祷) 招 詞 (イザヤ書43,18-19a) 讃 美 歌 11 交 読 文 詩編19(交読文p.5) 旧約聖書 イザヤ書44,1-8(旧p.1132) 新約聖書 マタイによる福音書8,5-13(新p.13) 祈 祷 説 教 「東から西から」 祈 祷 讃 美 歌 509 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 27 祈 祷 後 奏
- 教会学校 9:00 お話 教会学校 9:00 お話 「魚がいっぱい」(ルカ5,1-11)南山 宏之
- オリーブ会 9:40-10:10 牧師室 どなたでもご自由に
本日礼拝後
- 臨時役員会 礼拝後〜15時、会議室A。
今週の集会
- 祈り会 1月25日(水) 10:30-11:30 会議室A。引き続きボンヘッファーの説教に関する村上伸牧師のお話(CD)を聞き、ともに祈ります。
次週(1月29日)予告
- 教会学校 9:00 教会学校 9:00 お話 「5人の友達」(ルカ5,17-26)松原 新吾
- 顕現後最終主日礼拝
説教:「神の然り」廣石 望
聖書:コリントの信徒への手紙二1,12-22
牧師室から
年末に郷里に帰省し、介護施設に入って三カ月になる母を訪ねた。市民病院で小さな入院手術をするためである。入院当日の朝、居室のベッドで眠っていた母は息子の声で目をさまし、たいそう喜んだ。術後の病室で「もう何年もここにいる」と言う。時間や場所の感覚があいまいになっているようだ。それでもその数日は、彼女にとって、神さまからプレゼントされた嬉しい日々だったろう。
私たちは通常、予定をぎっしり書き込んだ手帳を睨んで、最短距離を高速で移動しながら暮らしている。そして日や出会いを神さまからいただいて生きていることを忘れる。携帯電話の乗換検索で表示される時間と、「何年も」不在の息子と再会するための時間は違う。古代ギリシア人は前者の時を「クロノス」、 そして後者の時間を「カイロス」と呼んだ。クロノスが万物を忘却の彼方へと押し流す〈時の流れ〉を意味するのに対して、カイロスは〈決定的な瞬間・大切な機会〉を意味する。
ヘレニズム時代のギリシア語では、カイロスは複数形で語られることが多い。しかし新約聖書は〈イエスの時〉をさして単数形を使う。それは新しい創造への信仰が生まれた時、もっとも決定的な時である。イエスも「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか?」と問うた(マルコ2,19)。カイロスには喜びや悲しみなどの特質が備わっている。
クロノスを生きる者は、「何をして時間を埋めようか?」「私のプロジェクトは何か?」と問うだろう。これも必要だ。しかしカイロスの前では、「今は何のための時か?」「この瞬間、私に何が求められているか?」が問われる。主日礼拝もまた、カイロス的な時について思いを巡らせる場所であると感じる。(廣石望)