三位一体後第10主日礼拝
2009年8月16日
三位一体後第10主日礼拝 10:30 司会・説教 村上 伸 奏 楽 中村今日子 前 奏 招 詞 (イザヤ書2,4) 讃 美 歌 90 交 読 文 詩編46編 (p.12) 旧約 聖書 イザヤ書2,1-5 (p.1063) 新約 聖書 マタイ福音書26,47-56 (p.54) 祈 祷 説 教 「もはや戦うことを学ばない」 祈 祷 讃 美 歌 469 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 28 祝 祷 後 奏
報 告 (ご高齢の方、お疲れの方は、讃美歌を歌う際、着席のままで結構です)
教会学校
- 教会学校 9:00 お話 「マルタとマリヤ」(ルカ10,38-42) 村上 典子
教会活動の夏休み
- 8月中は、教会学校礼拝と主日礼拝以外のすべての教会活動を休み、9月から再開します(ただし、祈り会は9月9日から)。なお、廣石副牧師は本日まで、村上牧師は明日から、夏休みをとります。
次週(8月23日)予告
- 教会学校 9:00 お話 「祈るときには」(ルカ11,1-13) 土田 潤子
- 三位一体後第11主日礼拝 説教「神殿での祈り」 (ルカ18,9-14) 廣石副牧師
報告
- 村上牧師の予定 「E・ベートゲ生誕100年記念シンポジウム」(8/27〜30、デユッセルドルフ)に出席のため明日ドイツへ出発します。帰国は9月2日の予定。エバハルト・ベートゲさんは、大著『ボンヘッファー伝』の著者として知られるドイツの神学者。数年前に死去されました。
牧師室から
8月15日のいわゆる「玉音放送」を聞いたのは、私が陸軍幼年学校の2年生のときでした。暑い日で、焼け跡に「不動の姿勢」で立たされている私たちの上に、8月の太陽が容赦なく照りつけていたことを覚えています。
放送の内容はよく聞き取れませんでしたが、「戦争に負けたのだ」ということだけは何となく分かった。口惜しいというよりも虚脱したようなぐあいでした。しかし、心の片隅にホッとした気持ちがあったことも否めません。
その日以来、私はさまざまな頽廃現象を見聞きすることになったのです。むろん、戦時教育しか受けたことのない15歳の少年には、事態を全体的に正しく捉えることはとても無理でしたが、とにかく軍国主義という体制が内側から崩壊したことを直感していました。
たとえば、教師陣の頼りなさです。それまでは生徒の尊敬を集めていた教師たちが、混乱に直面して「言うべき言葉」を持たなかったばかりか、道徳的退廃さえ見せたのです。
また、根も葉もない噂が生徒たちを混乱させていたとき、教師たちはなんら効果的な処置を講じてくれませんでした。「俺たちは皆軍人らしく切腹して死ぬのだ」という噂が伝わってきたとき、私たちは上級生に切腹の仕方を教えてもらい、苦しみを少しでも軽減するために剣を研いだりしていましたが、そのときの不安や恐怖はそのまま放置されたのです。
「米軍を相手に白兵戦をやる」という噂のときもそうです。これも、明確に否定されることがないままに、ウヤムヤになりました。
これらは小さな例に過ぎませんが、こんなことがあって、私は次第に「大日本帝国陸軍」なるものの迷妄から覚めたのです。ですから、私にとって敗戦は自分を新たに発見するためのスタートラインに他なりませんでした。
そして、その翌年、私は遂に聖書の言葉と出会いました。それは「敵を愛せよ」(マタイ5,44)という言葉だった。そして、これが、今日に至るまで変わることなく私を支える人生の大黒柱となったのです(村上伸)。