受難節第3主日礼拝
2008年2月24日
受難節第3主日礼拝 10:30 司会・説教 村上 伸 奏 楽 鈴木伶子 前 奏 招 詞 (詩編16,24) 讃 美 歌 294 詩編 交読 詩130編 (p.145) 旧約 聖書 ゼカリヤ書8,14-17 (p.1488) 新約 聖書 エフェソ4,25-32 (p.357) 祈 祷 説 教 「真実を語る」 祈 祷 讃 美 歌 300 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 25 祝 祷 後 奏
報 告 (ご高齢の方、お疲れの方は、讃美歌を歌う際、着席のままで結構です)
教会学校
9:00 お話 「安息日に手の萎えた人を癒す」 (マルコ 3,1-6) 村上 拓
本日礼拝後
- 讃美歌練習 礼拝後約10分、会堂で。527番を黒髪紀子さんの指導で。
- 懇談会 讃美歌練習後〜13:00 会議室A。主題:「新年度の教会活動計画について」。皆さんの提案や希望を活かすことができればと願っています。奮ってご出席下さい。
- 「九条の会」 13:10〜14:10 礼拝堂。小川哲夫さんの発題「東アジア150年の歴史と将来展望」に基づいて懇談します。
今週の集会
- 祈り会 27日(水)10:30から。『箴言』28章を学び、共に祈ります。
次週(3月2日)予告
- 教会学校 9:00 お話 「香油をそそがれる」 (マルコ 14,3-9) 渡辺 峯
- 受難節第4主日礼拝 10:30 説教「あふれる慰め」 (コリント二 1,3-7) 村上牧師
- 讃美歌練習
- 3月定期役員会
報告
- 村上牧師の牧師館滞在予定
- 27日(水)午前〜28日(木)午前
- 3月1日(土)午後〜2日(日)夕方
牧師室から
『箴言』は代表的な知恵文学の一つで、人生に関する深い洞察に満ちた「珠玉のような」言葉を集めたものです。それは、イスラエル共同体の、特に若い人々に「知恵と諭し」(1章2節)を与え、「正義と裁きと公平」(同3節)に目覚めさせるという目的のために編集されました。とりわけ、「主を畏れることは知恵の初め」(同7節)という教えがその中心にあります。
しかし、知恵文学といえども、人間的な「言い過ぎ」を免れませんでした。その一例は、「愚か者」(無知な者)に関するさまざまな格言を集めた箇所(26章1-12節)でしょう。
ここで編集者は、「愚か者」を散々コキ下ろしています。例えば、「愚か者に名誉はふさわしくない」(1節)。「愚か者の背には杖」(3節)。「愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ」(5節)。「愚か者に物事を託して送るな」(6節)。「愚か者の口にすることわざは歩けない人の弱い足・・・酔っぱらいの手に刺さるとげ」(7-9節)。「犬が自分の吐いたものに戻るように、愚か者は自分の愚かさを繰り返す」(11節)等々。これらの辛辣な警句を読むと、ほとんど「言いたい放題の悪口」と感じられるほどです。
ただ、編集者が最後に、「自分を賢者と思い込んでいる者よりは愚か者の方がまだ希望が持てる」(12節)と締め括ったのはさすがです。この一句によって、この箇所は辛うじて品位を保ったと言えましょう。真の知者は、「自分を賢者と思い込んで」他者をケナしたりはしません。
かつてイエスが、「[あなたがたが]見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」(ヨハネ9章41節)と言われたように、「自分には物事がよく見えている」と言い張るのは高ぶりの罪に他ならないのです(村上伸)。