三位一体後第5主日礼拝
2008年6月22日
三位一体後第5主日礼拝 10:30 司会・説教 村上 伸 奏 楽 村上典子 前 奏 招 詞 (ガラテヤ3,28) 讃 美 歌 204 交 読 文 詩61編 (当教会交読文集 p.21) 旧約 聖書 イザヤ書25,4-5 (p.1098) 新約 聖書 テサロニケ2 3,1-5 (p.382) 祈 祷 説 教 「神の愛とキリストの忍耐」 祈 祷 讃 美 歌 494 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 25 祝 祷 後 奏
報 告 (ご高齢の方、お疲れの方は、讃美歌を歌う際、着席のままで結構です)
教会学校
- 9:00 お話 「とまどうヘロデ」(マルコ6:14-29)村上 進
本日礼拝後
- 讃美歌練習礼拝後約10分、礼拝堂。礼拝後約10分、礼拝堂。木下由美子さんの指導で183番を練習します。
- 日本聖書協会の活動報告 礼拝後〜13:00、引き続き礼拝堂で。職員の菊池さんと宮崎さんによる活動報告、支援献金のアッピール、DVD上映、質疑・懇談など。
今週の集会
- 祈り会 25日(水)10:30から、会議室A。『詩編』第12編を学び、共に祈ります。
次週(6月29日)予告
- 教会学校 9:00 お話 「5千人に食べ物を与える」(マルコ6:30-44)田中 綾乃
- 三位一体後第6主日礼拝 説教「暗闇から光へ」 (ペトロ1 2,1-10) 村上牧師
- 讃美歌練習
- 9条の会
報告
- 村上牧師の牧師館滞在予定
- 25日(水)午前〜26日(木)午前
- 28日(土)午後〜29日(日)午後
牧師室から
「主を、わたしは避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか、『鳥のように山へ逃れよ・・・主に従う人に何ができようか』と」(詩11編1~3節)。
旧約聖書学者A・ヴァイザーは、この詩の背後には共同体の苦難の体験があっただろうと推測しています。つまり、「主に逆らう者」が「主に従う人」を迫害し、危険な暴力が共同体の基礎を揺るがしていた。その上、指導者の一人である詩人にも危険が迫っていた。そこで小心な友人たちが心配して「鳥のように山に逃がれよ」(1節)と忠告した、というわけです。
主に逆らう者たちは「弓を張り、弦に矢をつがえ、闇の中から心の真っ直ぐな人を射ようとしている」(2節)。それが現実なのであり、そのように「世の秩序が覆っている」(3節)からには、神を信じてもどうにもならない。だから逃げなさい、と友人たちは勧めたのです。
しかし、この詩人は逃げません。むしろ、「主を、わたしは避けどころとしている」(1節)と言って、彼を囲む現実の中に堅く立ち続けます。主なる神こそが彼の「避けどころ」であり、ほかに逃げるところはない!
逆らう者らによる暴力的支配は、友人たちの目には動かし難い「この世の現実」として映っていました。しかし、詩人の目は「天的な現実」に注がれていた。つまり、「主は天に御座を置き」(4節)、「御目は人の子らを見渡し」、そして、「御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる」(7節)。この確信が、詩人の最後の拠り所だったのです。
因みに、この7節は、口語訳では「直き者は主のみ顔を仰ぎ見る」となっています。ルター訳なども同様です。聖書においては、罪深い人間が聖なる神のみ顔を直接に見ると死ぬとされていましたから(出エジプト記19章21節など)、「主のみ顔を仰ぎ見る」というのは、赦しと祝福を意味している。これも、捨て難い解釈のように思われます(村上伸)。