「いったい、これは……」使徒2:1-11 中村吉基
復活後のイエスが昇天し40日後の五旬祭の日に、約束通り神によって聖霊が送られた。強い風が吹き、そこにいた人々は“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。当時のエルサレムにいた様々な地域で育ったユダヤ人たちが集まってきて、彼らが自分の故郷の言葉で話しているの見てあっけにとられた。「ことば」とは、歴史、価値観、考え方等「個」が国・民族単位となっていった歴史である。イエスは貧しい家の出身で本などを記したわけでないが、その「ことば」をきけば誰もが神と神の愛がわかる。昇天後途方にくれていた弟子達は強い風と伴に聖霊が降って彼らをいつも支えようとされる神の愛を深く感じた。その後弟子たちがすぐにかわったわけではないが、聖霊降臨によって神が「不可能が可能になること」「共に手を取り合って共存する道」を見せて下さったと感じた。他民族へのヘイトスピーチに見えるように、私たちは知らないものに嫌悪感を持ち、それが憎悪に変わる事もある。しかしペンテコステの日に未知のことばかり起き驚きとまどった弟子たちは、圧倒的な聖霊の働きがあったのか、出来事は無視も拒否もせず宣教の働きを進めた。私たちは主イエスのようにうまく「ことば」を使えないかもしれない。しかしそれでいい。ほかの誰かが向き合うところにこそ神の愛は実現し聖霊の力は働かれる。