イエスはキリスト一覧

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「最初の弟子たち」ヨハネ1:35−52 中村吉基

洗礼者ヨハネが「神の子羊」と言うこの方どんな方か、2人の弟子が主イエスを追う。するとイエスが振り返って「何を求めているのか」と尋ねる。そしてそのまま2人は、ほとんど面識のないイエスに従ってきた。次はペトロである。後に弟子たちのリーダー、教会の指導者となるが、彼の兄弟アンデレから「わたしたちはメシアに出会った」ときき、イエスのもとに馳せ参じた。その翌日はフィリポとナタナエルである。まず「わたしに従いなさい」とフィリポが招かれ「モーセが律法に記し、預言者たちも書いてある方に出会った」とナタナエルに伝える。聖書をよく知っているナタナエルは「ナザレか。ら何か良いものが出るだろうか」と答えるが、イエスと会い「あなたは神の子です」と告白する。今日の箇所だけではないが聖書の物語だけでは人々が主イエスにあった時の輝きやその言葉の力強さは伝わりにくい。私たちは「知らないもの」に対して恐怖を覚えるが主との出会うことによってそれはそれぞれの中で平安な出来事に変えられていくのである。

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「あなたがたは行って……」マタイ28:16-20 中村吉基

5月18日木曜日が主の昇天記念日で世界中の教会で祝われたが、それは主イエスの力が全てに及ぶことを意味する。今日の18節以下で彼は弟子たちにすべての民を弟子にしなさいと言ったが、ただ信徒を増やせばいいのではない。福音の教えによって視座の転換、つまり悔い改めをすることが大切である。二千年前、わずか11人で始めた「イエスはキリスト」という教えを、異邦人にも積極的に伝道し、ある人は音楽や美術など遠して主イエスを表現した。私たちもイエスの弟子である。イエスは私たちに「行きなさい」と言われる。また20節にある「あなたがたに命じておいたこと」というのはたくさんあるが、最も大切なことは「神を愛し、隣人を愛しなさい」である。今日の箇所には「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とある。私たちも聖霊の力をいただいて今の自分にできることからはじめていこう。

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「イエスはキリスト」ヨハネ1:1-14 中村吉基

今日の箇所にある「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった」を丁寧に紐解いていくと、天地創造の際にも共におられたようなことになってしまう。なぜだろうか?それは神が2000年前にイエス・キリストを人間にしこの世界にお送りくださったが、キリストはそれよりはるか以前から神のみもとにおられたということをヨハネは伝えている。そしてキリストこそいのちの源、人間を照らす光であるとも記している。続く「光は暗闇の中で」も自然現象の光と闇のことのみならず人生の道のことである。その中で最も明るい光がキリストである。そして「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。肉は人間という意味であるが、ただ肉体のみならずすべてである。それを「受肉」という。人間の罪を許すために神はイエス・キリストとなられて私たちの間に住まわれた。今日はイエスをキリストとして迎えるクリスマス。心からイエスをキリストとしてお迎えしたい。