「神に向かって生きる」ルカ 13:1-9 中村吉基
病気、災害、事故を因果応報(神の罰)とする考え方がある。しかし主イエスはシロアムの塔の下敷きになって死んでしまった人たちの事故は、決して天罰ではない、ときっぱりと否定した。すべては神の愛に包まれている。天罰や因縁をいう人達は不幸に合わない人を正しい人とみなしていることになる。そうではなくしっかりと自分自身を糾明し、悔い改めなければならない。神の愛に立ち返り、悔い改めの実が結ぶように神は期待を込めて待っておられる。
病気、災害、事故を因果応報(神の罰)とする考え方がある。しかし主イエスはシロアムの塔の下敷きになって死んでしまった人たちの事故は、決して天罰ではない、ときっぱりと否定した。すべては神の愛に包まれている。天罰や因縁をいう人達は不幸に合わない人を正しい人とみなしていることになる。そうではなくしっかりと自分自身を糾明し、悔い改めなければならない。神の愛に立ち返り、悔い改めの実が結ぶように神は期待を込めて待っておられる。
教会からのお願い 新型コロナウイルス対策の一環として、礼拝をライブでも配信しております。ライブ配信を通じて礼拝に参加される方は、以下のリンクからZoomでご参加ください。 ⇒ Zoomで主日礼拝に参加する(※マイクをミ...
受難節のみならず神の啓示を聞くことはとても大切なことである。しかし毎日の忙しさで神以外の声にいっぱいになってしまいがちである。今日の箇所(イエスの変貌)はルカのみならず出てくる。不思議な話であるが、ここには神の啓示をきくこととイエスが十字架で殺されて終わりではない、苦難も死も超えて甦える、この世の悪と死からキリストが超越された姿の啓示なのである。神は今日も語りかけて、イエス・キリストと主に歩む生活に招いておられる。
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正しい人ヨブが受けた苦難は、なぜかわからない故に苦しさが一層強いものであった。しかし苦しみ、悲しみ、病などは何か罪を犯した見返りとしてあるのではない。ヨブ記を通して私たちが教えらることは敬虔な信仰者の物語の裏にある人間の驕り、高ぶりである。悔い改めによって神がいつも共にいてくださることを実感することができる。謙虚に過ごして行けるよう、祈りをもってこの受難節を過ごしたい。
ヨブ記1:11-22 ルカによる福音書4:1-13 「苦難は幸い?」 中村吉基 キリスト教 受難節 レント
マタイの福音書による12弟子への使徒職伝授と派遣「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」。ガリラヤの漁師や徴税人がイエスにすぐに従ったのか福音書では説明はないが、直ちに弟子になり、癒されるものが癒し手となるために使徒となった。
公現後第8主日礼拝 旧約聖書:サムエル記上3:10-21新約聖書:マタイによる福音書10:1-4説教:「癒し手となる力の授与」(マタイによる福音書第Ⅱ説教集・第2回講解) 陶山義雄 キリスト教学校の生徒の皆さん、その...
山上の説教のあと、イエスがしてこられた働きの総まとめとマタイによる福音書で読む奇跡物語の読み方。イエスが民衆に向かう姿勢を通して託された教会の働き
旧約聖書:イザヤ書 35:5~10 新約聖書:マタイによる福音書 9:35~38 説教:「教会に託された3つの働き」 陶山義雄 マタイによる福音書 イザヤ書