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「後悔のその先に」ヨハネ11:17-27 中村吉基

マルタとマリアの物語は、イエスとの深い信頼関係を描く聖書の中でも特に印象的な場面の一つである。兄弟ラザロの死に直面した姉妹は、「主よ、もしここにいてくださいましたら…」と嘆き、深い悲しみと後悔に包まれていた。しかし、イエスはその痛みに共感し、自らも涙を流された後、ラザロを復活させる奇跡を起こされた。これは、すぐに奇跡が起こると信じてはいなかったにせよ、イエスを救い主として信じ続けた姉妹の信仰によるものである。この出来事は、現代を生きる私たちにも深い示唆を与える。身近な人の死や人生の過ちに対する後悔は誰しもが経験することであるが、その感情に囚われ続ける限り、前に進むことはできない。イエスの「出て来なさい」という呼びかけは、私たちを絶望の中から救い出す希望の言葉である。マルタの「わたしは信じております」という告白は、信仰によって未来へと歩み出す決意の表れであり、神は私たちにも同じように信仰と希望をもって生きることを望んでおられる。

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「共に喜び、共に泣く教会」ローマ12:9-18 中村吉基

2025年度の代々木上原教会の宣教方針が総会で可決され、年間聖句としてローマ12章15節「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」が掲げられました。この聖句は、教会内外における愛と共感の実践を勧めています。今日の箇所には「愛の十戒」とも呼ばれる教えがあり、互いを尊重し合い、信仰の仲間として愛を持って仕え合うようにと励まされています。 教会とは、旅人(新たに加わる人々)をも歓迎し、その困難を「自分のものとして」受け止める共同体です。「コイノーニア(交わり・分かち合い)」の精神に基づき、仲間の喜びや悲しみを共にすることが求められています。しかしそれは簡単ではなく、信仰と聖霊の助けによって可能になります。教会内の関係にとどまらず、日常生活においても他者の喜びや悲しみに共感し、証しする者として歩むことが勧められています。主イエスが他者の友となったように、私たちもその道に従う者となることが求められているのです。

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「それでも朝は来る」マタイ28:1-10 中村吉基

今日はイースター。マグダラのマリアたちがイエスの墓を訪れる箇所である。彼女たちは危険を顧みずに墓へ行き、復活を知らされ、喜びを持って弟子たちに伝える。死は深い悲しみが伴うものだが、マリアたちの行動や復活の主との再会が示すように、死は終わりではなく新たな始まりであると聖書は語る。復活のイエスは今も私たちと共にあり、悲しみを共にし、再出発の力を与えてくださる。イエスは弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と告げる。これは単なる地名ではなく、私たちの日常・周縁・必要とされる場所を象徴である。私たちもそれぞれの「ガリラヤ」へと出かけていくことで、復活の主に出会える。